「考え事」の、途中経過。

2011-12-26 23:21:24 | Weblog



子供の頃、年末の、今くらいから大晦日まで、

何だか意味もなく「神聖」な感じがしていた。


魔法のような時間、密度の濃い日々。

31日が近付くと、時間がもったいないような感じ。

31日の12時になって、「除夜の鐘」が鳴り出すと

とたんに、魔法は終わるのだった。


中学生ぐらいまで毎年、そんな「感じ」を味わっていた。

あれは何だったんだろう?と思う。

「一年の終わり」というのを妙に、厳粛に受け止めていたフシがある。

「始まり」は、どうでもよかったみたいだ(笑)。


むむむ・・深層心理的にちょっと、

思い当たるフシもある。

と言うのは、

俺は、

万事において、「終わり」が好き・・・というか、妙に気になるのだ。


「終末願望」と言うと言いすぎなのだが、そんな傾向を俺は、

確かに持っている。

「始まり」と「終わり」は、似ているようで、

でもやっぱり、全然違う。


「終わったらもう始まらない終わり」だってある。


「終わりは始まり」なんて簡単に言って欲しくないのだ。


こういうのはきっと、「観念的」の対極の、

「唯物論的」な感じ方だと思うのだがどうだろう?


すべての物事は円環を描いている・・のだとしても、

「エントロピーの増大」ということを考えれば、

それは「負の螺旋スパイラル」でしかない。



・・と、ここまで言っておいて、


それでもやっぱり、宇宙の中で、我々「生物」だけがきっと、

「終わり」から「始まり」を創造出来る、という

特権を持っている。


「生きる」ことは、

「エントロピーの増大」に対抗すること・・・なのだ。

それでしかないだろう。


ありていに言えば、”何かを創造する”、

世界の新しい「意味」を、見い出す。





・・・・・・来年は、俺も頑張ろう。


実はただ、それだけのことだったり

するのだけれど。




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