怒髪天の現在を思う。

2024-06-24 21:02:56 | Weblog

怒髪天からベースのシミーが抜け・・・・それ以降、初の(たぶん)ワンマンライヴが

東京で開催されたらしくて、

ライヴレポがSNSに掲載されていた。

サポートメンバーは「アナーキー」の寺岡さんで、

レポによると

ライヴ後半で「俺はオマエがいつまでもそばにいるんだと思ってた」

という歌詞の曲が披露された、と書いてあった。

意図的にか、そうでないか、わからないのだけれど、その曲のタイトルは書いてなかった。

でも僕はその歌詞で、すぐにわかった。「青の季節」だ。

この曲は、2007年に発表されたもので、亡くなった友達のことを歌っている。

彼等の身近で、亡くなってしまった友達が何人かいるみたいなのだが、

その中の一人は、ランブルフィッシュの佐治朝吉だ。

・・・・ていうか直接的にこれは佐治のことを歌っている。

「みっちゃん達と、佐治の歌」。彼はそう言った。そういう曲。

(みっちゃん、というのは不肖、この僕のことだ。)

でもこれはしかし、今現在となってはやはり、問題を起こしてバンドを去らざるを得なかった

シミーの姿が思い浮かぶ。

誰もが、彼等は「いつまでも一緒だ」と、思っていたからだ。

文学的には「別れ」は、「弱められた死」である。

もう会えないなら、一緒に居られないなら、それはそうだ。

でも、現実的に考えると・・・・・・生きてりゃいい、と思う。

だって生きてれば、何か奇跡的なことが起こって、また一緒に演れるかもしれない。

 

2007年に僕は、怒髪天がこの「青の季節」を、ライヴで演るのを見たことがある。

曲が終わった後、増子君はステージでしゃがみこんでしまって、

しばらく立ち上がらなかった。

ツライ歌なのだ。

そして、今ではまた別の意味のツラさも加わってしまったが、逆に言えば

この「青の季節」という歌の強度が、さらに上がった、と言える。

 

今後の怒髪天が、また楽しみになった。

 

 

しかし、今更ながら思うのは、

シミーが抜けざるを得なくなってしまったとは言え、

不動の三人・・・増子くん、ギターの友康、ドラム坂さん。

あの頃、1980年代後半、我々が初めて出会った頃にバリバリ活躍してたバンドは、

今ではその、ほとんどが存在しない。

いちいち名前を挙げるまでもないが・・・・・・・・・・・・・・

佐治と僕等のやっていた ランブルフィッシュも、もちろん、ない。

そう考えると僕は時々、彼等(怒髪天)が、羨ましく思えたりもする。

でも逆に、

ものすごい重荷を、彼らは背負ってるのかもしれない、と思い直したりもする。

でも

重荷、というものは誰でもが・・・生きてきた分だけ背負ってるものなのかもしれない。

そう思うと、彼等も、我々も、

一緒なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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