普段は何も考えずに「俺」って言っている。
子供の頃は「僕」って言ってたな。
広島の(男の)子供は、「わし」って言ってた。本当に。
今でもそうだと思う。
初めて聞いたときはインパクトあったな。
幼児が「わし」って・・。
まあそれはいいとして。
村上春樹さんの(初期の)小説の主人公は「僕」だ。
名前さえ紹介されない。
初期三部作の次の長編作品である
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では
「ハードボイルド・ワンダーランド」の方の主人公は「私」だった。
「世界の終わり」の主人公との違いが明確だったし、
なによりもチャンドラー風味が効いていて、とてもよかった。
「私」=「僕」であることがだんだんわかってきて、
それはそれでとても内面的で切なかった。
中島らもさんの本においても、一人称代名詞はずっと「僕」だったのだけれど
晩年に「俺」に変わった。少し違和感があった。
最近読んだわりにしょうもない「食」に関するエッセイ本で、
(賞賛にも罵倒にも値しないので著者の名前も出さない。)
著者が自分の事「俺」って言っていて、
何か意味もなくエバられてるような感じがして不快だった。
でも例えばもし、山口富士夫さんの自伝で自分のこと「僕」って言ってたら
それは「変」だ。
キースリチャードもきっと「僕」って言わないよな。
「僕」だと弱すぎるし、「俺」だと尊大すぎる。
日本語は、喋る相手が「年上」か、「年下」か、
もしくは「格上」か「格下」か・・・を見極めないと
話し出す時に「僕」か「俺」かを選ぶのも困難だ。
相手との「距離感」というのもあって、
打ち解けた間柄だったら俺だって、年上のひとに「俺」って言う。
謙譲の美徳、というのも根深い。
尊大に構えて自慢話をする、なんてのはタブーだ。
そんな奴、いっぱいいるけど。
いろいろと面白くもあるのだけれど、
面倒臭いと言えば面倒臭い。
「俺」と「僕」の中間があればいいのにね。
永遠の「ないものねだり」だ。