ノイズ・ギター 追想。

2024-02-21 20:09:38 | Weblog

そう・・・・・

僕がノイズ・ギターに興味を持ったきっかけは、浅川マキさんだった。

考えてみたら1990年か91年かのどちらかに、

ランブルフィッシュは、マキさんとの即興的、セッション的なライヴをやっているのだ。

インプロビゼーションの極致とも言う。

関西学院大学の文化祭で。

前座、とかではなく、ランブルの演奏の上でマキさんが歌った。

マキさんと一緒に、大阪某所でスタジオ入りまでやった。

呼んでくれた関西学院大学の人から資料として、マキさんのそれまでの音源を頂いた。

「夜が明けたら」とかの初期の物もあったが。

ジャズの大物ミュージシャンたちとの共演モノも、ばっちり入っていた。

そのアヴァンギャルドさは僕がそれまで、触れたことのないものだった。

影響を受けないでいられるわけがない。物凄い音を聴いて、本物に会って、本物に触れたのだ。

 

でも考えてみたらそのことがあったのと同時期に僕は、

そのこととは関係なく、ソニック・ユースを聴き始めている。

ソニック・ユースは・・・ニューヨーク・アンダー・グラウンドの、

「NO  NEWYORK」直系のアヴァンギャルドである。しかしポップな側面もあり、

なかなか一筋縄ではいかない。

ちなみに、 ばるぼら  で、後の1998年に出場したアメリカ・テキサス州でのSXSWは、

その年の出演バンドの中にソニック・ユースもいた。

その年の出場バンドのリストの中に BALBORA  と SONIC YOUTH がいるのだ。

(他に ROYAL TRAXもいる。CLOUDBERY JAMも、いる。特別ゲストはJOHNNY  WINTERだった。)

何か液体を漏らしそうなほど嬉しかった。

 

さて、それ以前に僕は、不協和音ギターというものに感銘を受けている。

1980年代後半の、トム・ウェイツの衝撃的なアルバム「レインドッグス」のなかの、

多分、マーク・リボーが弾いているギター。

わざと音を外しているように聞こえる。そしてそれが、死ぬほどかっこよかった。

それで、僕もランブルフィッシュの後期くらいから、そういう不協和音ギターには挑戦していた。

 

その状態の時に浅川マキとソニック・ユースに出会う。

ノイバウテンのブリクサが、ニック・ケイヴのバッドシーズにギタリストとして参加していたのも

その頃で、来日もしている。

僕はそのニック・ケイヴ&バッド・シーズの来日コンサートを見に行って、

ブリクサの、あまりにもマトモでない、ピキッピキッ、ガシャ、ガシャとしか鳴らさないギターにも衝撃を受けた。

普通の音は一音もなかった。

ブリクサの本業、というかアインシュツルツェンデ・ノイバウテンの音楽にはあまり、感銘を受けなかったのだが。

 

あ、もうひとつあった。

1980年代後半・・・・ラウンジ・リザースというバンドのレコードを友達が貸してくれた。

俳優業の方が有名なジョン・ルーリー率いる”フェイク・ジャズ・バンド”の1STアルバム。

ギタリストはアート・リンゼイ。正メンバーである。

ラウンジ・リザース自体、死ぬほどお洒落でかっこいいのだが、このアートリンゼイが物凄くて。

レコードのライナーノートによれば「アートリンゼイは、

エレクトリック12弦ギターに8本だけ弦を張り、チューニングは しない。」とのことだった。

は?何???

チューニングは、しない?????????????

この時期のアートリンゼイは確信犯的なノイズ・ギタリストで、

その音はノイズ、強いて言えばメタル・パーカッションに近い感じの音だった。

擬音で言えば ピキッピキッ、ガシャッ、ガシャッだ。

和音とか、合ってる音は一切、使わない。でもそんなに音量はデカくない。耳障りではない。

しかし相当、「異質」な音だ。一言で言えば「変」である。

すげえ。と僕は思った。

僕もそのスタイルで・・・演ろうかな?と一瞬思ったのだが、

ちょっと極端すぎだ。

 

チューニングしたギターでも不協和音は出せるし、

和音と不協和音の落差も出せる。

 

ソニック・ユースだって、さまざまな「変則チューニング」を駆使するが、

「完全無調」ではない。

「完全無調」は、「純粋ノイズ」である。

 

純粋ノイズ、といえば僕は1999年に、

新宿ロフトで「非常階段」のライヴを体験している。

モノ凄かった。圧倒的だった。轟音だった。気が狂ってるようにも見えたし、理知的にも見えた。

「純粋ノイズ」のすさまじさを体験出来て、本当に良かった。

 

その1999年の末に、僕ら(ボケロウ、俺、マーボー、キヨシ)がやっていた ばるぼら は、消滅した。

それと同時に、

1993年の11月に結成して以来、ずっと存在していた ばるぼら という人格がふっと、

消え失せてしまったのを、僕は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも彼女(ばるぼら)は実は僕の赤いギターの中に今でもいて、

時々は目を覚まして、大暴れしてくれるのです。

 

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