まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

交流戦観戦記・ドラゴンズ対バファローズ@名古屋(見ごたえある投手戦は宮城完封、森の一発が決まる)

2023年06月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

さて前置きが長くなったが、6月4日のバンテリンドームナゴヤでの交流戦観戦。ドラゴンズとしては交「竜」戦である。そして、私が陣取った三塁側上段パノラマシートにはドラゴンズファン、バファローズファンが半々といったところだ。中には、セ・リーグはドラゴンズ、パ・リーグはバファローズを応援しているという人もいるだろう。

ドラゴンズの先発は20歳にしてWBCにも選出された高橋宏。1回表、まずは内野ゴロ3つで簡単に三者凡退とする。150キロ台後半のストレートとスプリットが武器のパワーピッチャーである。

一方、バファローズの先発はこちらもWBC組の宮城。こちらはストレートは140キロ台も、80キロ台のスローカーブもあり、打者を翻弄する。対照的な若手二人の投げ合いで、こちらも初回、ライト・茶野の好プレーもあって三者凡退とする。

まずチャンスを作ったのは2回表のバファローズ。先頭の森がレフトへの二塁打で出塁。続く頓宮が四球で無死一・二塁と先制のチャンスとする。

ただこれで高橋宏もエンジンがかかったか、ゴンザレス、杉本と連続三振、紅林の当たりもショートライナーとなり無失点で切り抜ける。

ここからは宮城、高橋宏の両先発による好投が続く。高橋宏が三振を奪えば、宮城は(ドラゴンズ打線の早打ちもあってか)球数も少なくテンポのよい投球を見せる。2回裏から5回表まで、両チーム通して出塁したのは頓宮の二塁打のみ。

5回裏二死までパーフェクト投球の宮城だが、6番・福永がショートへの当たり。紅林が捕って一塁への強肩を見せるが、判定はセーフ。しかし後続を難なく抑え、5回裏を終えて0対0。見ごたえのある投手戦だが、2回表の無死一・二塁でバファローズが先制点を取れなかったのが悔やまれる。

5回裏終了時のハーフタイムでは、この試合「平成ガールズカルチャー」がテーマとあって、ビジョンに向かってパラパラのコンテストがあった。もはや、平成が「懐かしい」と言われる時代である。令和の若き女性のダンスが映ったかと思えば、昭和のおっさんのダンスも映り場内から笑いが起こる。

6回表は高橋宏が三者凡退として、その裏、二死となって宮城から岡林が内野安打で出塁するが無得点。

7回表のラッキー7。まずはレフトスタンドから三塁側にかけてバファローズファンからタオルが掲げられる。広いビジョンでレフトスタンドをきちんと映してくれるのもうれしい。

その7回表、先頭の森が一発狙いのフルスイングを見せるがまずは三振。しかし頓宮、ゴンザレスに連打が出て、杉本を迎えたところで内野陣がマウンドに集まる。今度こそ、先制のチャンスだ。

ここで杉本がしぶとくライトに運び、一死満塁とする。ここで紅林だが、この日は「アカンほうの」紅林だったようで、高橋の前に空振り三振。次の打者は宮城である。7回表、0対0、二死満塁・・・さてどうするか。ここまでまだ代打のカードは1枚も切っておらず、作戦はいかようにも考えられる。

この場面で中嶋監督が選択したのは、そのまま宮城を打席に立たせたこと。普段、投手が打席に立つセ・リーグの試合を観戦していないので、この辺りの駆け引きが難しいなと感じたことである。6回まで内野安打2本に抑えての無失点、しかも球数は少ない。そして宮城は打撃にも定評があって・・・。

その宮城は打席でバントの構え。まさかセーフティバントはないだろうが、高橋宏への揺さぶりである。果たしてボール先行。その後見送り、空振りもあって3-2のフルカウントまで持ち込む。あわよくば押し出しでの1点もあり得る・・。しかしここは高橋宏が上回り、宮城は空振り三振。残念だが仕方ない。

「満員御礼」の文字も出たドラゴンズのラッキー7。昨年亡くなった水木一郎さんの「燃えよドラゴンズ」の「交流戦バージョン」である。

自らのバットで先制点とはいかなかった宮城、7回裏は細川、石川、高橋周というクリーンアップだったが、引きずる様子もなく三者凡退とする。

そして8回表、ドラゴンズは高橋宏から祖父江に交代。高橋宏は7回まで118球、被安打5、四球1、奪三振13という素晴らしい投球だった。生で観るのは初めての投手だったが、さすがドラゴンズの次世代のエースと称されるだけのことはある。今季ここまで1勝6敗というが、打線の援護に恵まれない面もあるそうだ。バファローズも少し前までは同じようなことが続いていたなあ・・(金子千尋、山本由伸など)。

この祖父江も終盤にかけての大事な場面で登板する機会が多く、好投が続いている。ただここで先頭の茶野がストレートの四球で出塁。続く西野はバントの構えもありながら結局は四球で出塁し、スタンドからどよめきが起こる。

無死一・二塁となって中川。どうとでもできる場面で、ここはバント。しかしポトリと足元に落ちてしまい、三塁に送球されてアウト。バント失敗である。

迎えるは森。4番のバットに期待が集まる。応援歌のコードも一つ上がる。

1-1から振り抜いた当たりは右中間へ。そのままスタンドに入り、一気に3対0と先制する。三塁側パノラマシートからも万歳、歓声が挙がる。すごいや、4番の一振り。

これで祖父江は降板し、藤崎が登板する。次は頓宮だが、藤崎もストレートの四球を与える。そして続くゴンザレスがセンターへの二塁打を放ち、頓宮が一気に生還。4対0となる。貴重な追加点だ。

この後二死一・三塁となり、打席には宮城がそのまま立つ。少なくても前の打席よりはリラックスしていることだろう。それがよかったのか、レフトへのタイムリーを放つ。5対0。宮城はこれがプロ初打点となり、一塁ベース到達後に思わず右手が挙がる。結局8回表だけで打者10人の猛攻で一挙5点を奪った。

そして最後9回裏のマウンドにも宮城が上がる。ここまで来れば完封しかない。ただ一方で、この試合終盤まで来ているが、ドラゴンズベンチの動きがほとんどないのも物足りなく感じる。確かに継投は高橋宏は7回までと決めていたようで、後はリリーフ陣に託すというのはわかる。しかし、終盤のここぞというところでの代打が出てこないのである。宮城の好投でチャンスらしいチャンスが作れなかったのも確かだが、今季の成績はともかく、このカードで先発でも出場していた大島やビシエドといったところが代打でも出る気配すらなかった。立浪監督としても、長いシーズンの中にはこうした試合もあると致し方なく捉えていたのかもしれない。

宮城は最後の鵜飼を三振に打ち取り、そのまま5対0で試合終了。宮城は108球の完封で、被安打2、無四球、奪三振10だった。被安打2はいずれも内野安打で、その後の攻撃でも二塁すら踏ませなかった。

ビジターのヒーローインタビューはもちろん宮城。やはり高橋宏との投げ合いを意識しての投球だったとのコメント。高橋宏の好投と合わせて、こうしたすばらしい投手戦を観戦できたのはいつ以来だろうか。二人に「あっぱれ」。

試合終了後、「スカイルーフオープンショー」が行われた。帰りの混雑対策の一つかもしれない。

バンテリンドームナゴヤは屋根そのものは開閉しないが、ロール式の遮光幕を開閉することで外の光を採り入れることができる。いったんスタジアムの照明が落とされ、暗闇の中の光のショーが繰り広げられる。ペンライトを手にする人も多い。

天井のスカイルーフが少しずつ開く。夜明けの場面をイメージした演出のようだ。そして外からの光を受けられる全開モードとなった。

ここからスカイルーフのパネルが妙な動きを見せる。ところにより閉じたりそのままだったり・・。そしてBGMが終わると、ドームの天井に何か文字が浮かび上がったようだ。スタジアムDJのアナウンスによると、「平成」の2文字である。確かに、この試合は「平成ガールズカルチャー」がテーマだった。

これでオープン戦、公式戦合わせての現地観戦成績は2勝3敗1分となった。まあそれはともかくとして、帰りも同じようにゆとりーとラインのバスに乗り、大曾根からJR中央線に乗っていったん金山で下車する。帰りの新幹線まで時間があるので、軽く祝杯の一献ということで・・。

名古屋ということで久しぶりの「世界の山ちゃん」にしようかと思ったが、一献とはいえさすがに腰を据えて飲むだけの時間はない。ということで、その手前にある立ち飲みの焼きとん「大黒」に入る。ちなみに、「世界の山ちゃん」、「大黒」ともに広島にも支店があって・・。

ここで業務用ボトルのホッピー(焼酎はキンミヤではないが)、そして焼きとんのあれこれをいただく。カウンターで応対する店員も元気で、客との会話で盛り上がる。

そして向かった名古屋駅。新幹線ホームにもバファローズのユニフォーム姿がちらほら見える。お互いに遠征お疲れ様である・・・。

さて、次の野球観戦はいつになるやら・・・?

コメント

交流戦観戦記・ドラゴンズ対バファローズ@名古屋(8年ぶりの名古屋観戦を楽しむ)

2023年06月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球も前半戦の一つの山場である交流戦に突入した。その中、私が空いたスケジュールの中で、6月4日のバンテリンドームナゴヤでのドラゴンズ対バファローズ戦を広島から日帰りで観戦した。

当初から名古屋に行く計画があったわけではないが、私のほうもいろいろあった中で、ふとカレンダーを見ると名古屋での交流戦とあった。名古屋のデーゲームなら日帰りで十分往復できるし、久しぶりに行ってみよう。チケットは三塁側上段のパノラマシートの通路側に空きがあり、無事に確保できた。新幹線は日本旅行の限定「のぞみ」利用の日帰り往復プランである。そりゃ、3日~4日と1泊できるに越したことはなかったが・・。

広島から「のぞみ2号」に乗車し、9時19分、名古屋に到着。いったん在来線ホームに出てホームのきしめんをすすり、名古屋に来たのだからとこちらも久しぶりの大須観音に参詣する。

観音様に手を合わせることのほか、周囲も庶民的な雰囲気、その一方で外国人向けの店も多く、サブカルチャーの店も多い。そうしたところも人気の要因である。

さすがに朝10時前だと名物の商店街も開いている店はまだ少なかったが・・。

その後散髪もして、大曾根から「ゆとりーとライン」で1駅、ナゴヤドーム前矢田に到着。ちょうど大勢のファンがドームに向かうところで、その中で結構バファローズファンの姿も目に付く。やはり関西に近いこともあるし、人口の多い中京圏には一定数のファンもいるのかもしれない。これが広島だったら完全アウェーなのだが・・・。

バンテリンドームナゴヤに来たのは2015年の交流戦以来である。その試合は先発・金子千尋、4番・カラバイヨという布陣で、5回に一挙4点をとったバファローズがそのまま4対0で快勝している。

このバファローズ3連戦は「ガールズシリーズ2023」と銘打たれ、「平成ガールズカルチャー」をテーマにしている。さらにこの日は入場口で、ドラゴンズのイケメンコンテストで選ばれた5名の選手のタキシード姿のトレカが入場者全員に配布された。バファローズのユニフォーム姿の私にも中身がわからないカードが渡されたのだが、すぐにドラゴンズファンの妙齢の女性から「カード譲っていただけませんか?」と声をかけられた。中身がわからないので、お目当ての選手のカードをゲットしたいのだろう。まあ、私のようなバファローズファンのおっさんがドラゴンズの選手のタキシード姿のカードを見てうっとり・・ということはないので、どうぞどうぞと渡す。果たして、誰のカードが入っていたのかな?

「平成ガールズカルチャー」がテーマということで、試合前のBGMも90年代後半~00年代前半にかけての女性ボーカルの曲が続く。一応、私も当時20~30歳代ということである意味懐かしさを感じる。

さて昼食だが、「交流戦弁当」というのを購入した。パ・リーグ6球団のご当地名物を名古屋名物が迎え撃つという中身にひかれた。そのパのご当地名物は、豚丼(北海道)、笹かま&牛タンコロッケ(東北)、大学いも(埼玉)、アジのなめろうフライ(千葉)、串カツ・たこ焼き(大阪)、めんたいスパ(福岡)という布陣。アジのなめろうとは千葉の着眼点も面白いし、埼玉の大学いもって・・ああ川越かというもんである。福岡のめんたいスパは・・・他に何かなかったのかと思う(いっそのこと、辛子明太子一切れをドンと置いたほうがよかったかな)。これらを迎え撃つ名古屋名物は味噌カツ。中央のごはんの上に焼き豚と味噌カツが一緒にのっている。北海道から九州まで幅広い地域のご当地ものが味わえ、アルコールも進む。

スタメン発表。大型ビジョンではビジターチーム側も各選手のプロフィール、今季の成績、そしてドラゴンズ側では応援歌の歌詞なども細かに出してくれる。

交流戦ということでキャラクター、そしてダンスもチアドラゴンズとBsGirlsの共演である。

この試合の先発はドラゴンズ・高橋宏、バファローズ・宮城。いずれもWBCで日本代表に選出された若き投手である。この後、白熱した投手戦が繰り広げられることに・・・。

コメント

第10回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第32番「光明寺」(ツタヤ図書館と元祖チキン南蛮)

2023年06月03日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの延岡編。先ほどは西階城跡に近い第31番・龍仙寺に参詣し、今度は延岡城に近い第32番・光明寺に向かう。この辺りは古城町という地名だが、ここでいう「古城」とは延岡城ではなく、中世に延岡を支配していた土持氏が築いた井上城のことだという。目の前を流れる大瀬川を天然の堀とした城であったとのこと。延岡にも時代によりあちこちに城があったものである。

地元の名門・延岡高校の横に光明寺がある。寺の創建は鎌倉時代、井上城の鬼門除けとして建てられた。白壁の塀に沿って西国三十三所の観音像が並ぶ。こちらは江戸時代の延岡藩主・内藤氏の寄進によるものだという。

正面の本堂は鉄筋コンクリート造りで再建された堂々とした建物である。扉が開いており中に入る。法要も大勢の人数が収容できそうだ。本尊は阿弥陀三尊、他に不動明王、地蔵菩薩などが祀られている。九州三十六不動の札所でもある。立派な本堂に感心してのお勤めである。

本堂に隣接して淡島堂がある。淡島神社の神である淡島大明神、そして海のつながりとして恵比寿大神が祀られている。先ほどの龍仙寺には大黒天が祀られており、ここ光明寺も含めて「延岡七福神」の一つに数えられている。さまざまな神仏が同居しており、城下町に位置していることもあり、延岡の人たちはさまざまな願いを込めて光明寺に参詣したことだろう。

本堂には九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの納経帳やガイドブックも置かれていたが、朱印希望の方は寺務所へとある。この日(5月7日)の朝、佐伯の第30番・大日寺では寺の方が留守というのに遭遇しており、こちらは大丈夫かと一瞬心配したが、インターフォンを鳴らすとすぐに応答があり、無事に朱印をいただくことができた。墨書の文字は「無量寿三尊」。

時刻はちょうど昼すぎ。朝方の見通しでは、この先の門川町にある第33番・永源寺までコマを進めておこうと思っていた。しかし、朱印をいただくためにもう一度大日寺に立ち寄る必要もあるし、雨も降り続いているし、今回は大分県から宮崎県に入ったことでよしとして、延岡で折り返しとする。

今回はレンタカーでの移動で(そのおかげで秘境駅の宗太郎駅の見物もできたが)、せめて延岡の駅くらいは見ておこうか。中心部を走り抜け、駅に到着する。

そこで目についたのは、「延岡駅」というより「蔦屋書店」の文字。2018年にオープンした「延岡エンクロス」という複合施設で、メインは蔦屋書店とスターバックス、図書閲覧コーナー(本の貸し出しは行っていない)である。こうした「ツタヤ図書館」は佐賀の武雄市を皮切りに全国に広がっており、中国地方だと備中高梁駅や徳山駅で見られる。「ツタヤ図書館」をめぐってはあちこちでひと悶着あるようで、この「延岡エンクロス」についても政治的な駆け引きの舞台になっているとか・・。

そして駅だが、「ツタヤ図書館」のついでにあるといった感じで、窓口や改札口も小ぢんまりしたものである。ちょうど改札口の向こうには宮崎方面への列車が停まっている。次の九州八十八ヶ所めぐりでは、ぜひ小倉から日豊線を伝って訪ねたいものである。

延岡駅近辺で昼食としようかと思ったが、さすがにスターバックスでの食事はどうかと思い、とりあえず駅前に出てみる。ただ、パッと目につくようなところがない。

どこかないかとスマホ地図で周辺を検索すると、ルートインホテルの裏手の筋に「直ちゃん」というチキン南蛮の店を見つけた。私の旅では地元グルメというのはなかなか登場しないのだが、宮崎県に入ったということでチキン南蛮をいただくとしよう。

店に着くと、ちょうど並んでいた人たちが店内に入ったところで、外でしばし待つ。人気店なのかと検索して驚いたのが、この「直ちゃん」、チキン南蛮の「元祖」の店だという。いやいや全く知らなかった。

チキン南蛮といえば、甘酢につけて揚げた鶏肉にタルタルソースがかかった一品を連想するが、「直ちゃん」のチキン南蛮はタルタルソースがない形で出される。チキン南蛮は、元々は延岡の洋食店の賄い料理だったのを、そこで働いていた後藤直という人が、後に自分の名前を冠した大衆食堂で出したのが始まりだという。

そしてやってきた定食。薬味としてついてきたのがマスタードとゆず胡椒。それらを少しずつつけていただく。鶏肉もやわらかく、甘酢の味ともよく合っている。ご飯もどんどん進んだ。ただ、これが「元祖」だとして、今のようにタルタルソースをかけるのが一般的になったのは、どこかで誰かが考案した食べ方ということになる。それも気になるな・・。

店の外に出ると行列ができていた。もし来た時にこの状態だったら、食事の店で並ぶのが嫌いな私、果たしてこの後についていただろうか・・ちょっとしたご縁である。

これで延岡を後にする。国道10号線、もしくは東九州道で佐伯に向かえば早いのだが、行き帰りで変化をつけたかったし、雨の中だが日向灘も見たいということで、遠回りにはなるが海沿いの国道388号線を走ることに・・・。

コメント

第10回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第31番「龍仙寺」(延岡は僻遠の地か?)

2023年06月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、大分県最後の札所である佐伯の大日寺の朱印をいただけないまま宮崎県に入った。西南戦争最後の激闘地となった和田越を過ぎ、延岡の市街に入る。まず目指すのは、市街から少し西に進んだ第31番・龍仙寺である。

宮崎県北部の町である延岡と聞いて、どういう連想をするだろうか。これまで日豊線で通過したり、かつて走っていた高千穂鉄道の起点として駅を通ったことがあるが、町並みを目にするのは実質初めてである。旭化成の発祥の地であり、現在もグループ最大の生産拠点を有する工業都市ということはよく知られている。

その一方で頭に浮かんだのは、夏目漱石の「坊っちゃん」である。この作品は、主人公の「坊っちゃん」が赴任した松山をことさら田舎のように描いているのだが(もっとも、書かれたほうの松山の人たちがこぞって「坊っちゃん」を町の看板としてPRしているのだが・・)、延岡はさらに輪をかけている。登場人物の一人「うらなり先生」が転勤する場として登場する。そして作中では、「延岡といえば山の中も山の中も大変な山の中だ」「猿と人とが半々に住んでいるような気がする」などとひどい書かれ方だ。

現実の延岡は五ヶ瀬川の河口にあり、日向灘に面した開けた地形である。江戸時代は藩主がたびたび入れ替わったものの、中期以降は内藤氏が藩主を務め、7万石の城下町も開かれていた。確かに三方は山に囲まれており、「坊っちゃん」が書かれた当時はまだ日豊線の大分・宮崎の県境区間はまだ開通していなかった。松山ですら田舎のどうしようもない町のモデルとして書いた漱石としては、「うらなり先生」が左遷された先を探していたのかな。

ただ、その後の「うらなり先生」の送別会の場面では、「延岡は僻遠の地で、当地(松山)に比べたら物質上の不便はあるだろうが(中略)、風俗のすこぶる淳朴な所で、職員生徒ことごとく上代樸直の気風を帯びている」と、「坊っちゃん」の同僚の「山嵐」にスピーチしている。なぜ「坊っちゃん」で「うらなり先生」の転勤先を延岡に設定したのかはわからないが、作中人物にそう言わせるということは、漱石の延岡に対する印象もそれに近いものだろう。熊本に赴任していたこともあるから、延岡がどういうところなのかも知っていたのかな。

クルマは国道10号線を走り、延岡の繁華街を過ぎる。そして、江戸時代初期に高橋元種が築き、以後何代かの藩主交代を経て内藤氏が藩主となった延岡城跡を見る。依然として雨なので城跡見物は別にいいかな。

市街地を抜け、延岡城よりも前に室町時代に築かれ存在していた西階城跡に近づく。城というよりは中世の砦だったところのようだが、現在は高台の地形を利用して野球場や陸上競技場、住宅地、市営墓地などが並ぶ。

市営墓地の駐車場から坂道をさらに上ると、龍仙寺の山門に着く。

龍仙寺は江戸時代初期、大和の国から招かれて谷山覚右衛門により修験道の道場として開かれた。本尊は大黒天と荼吉尼天を祀った。当初は明實院という名で、延岡藩の内藤氏の祈願所として、また地元の人たちからも信仰を集めていたが、火災に遭い、また明治の廃仏毀釈で廃寺寸前となった。明治時代に現在の龍仙寺という名前になり、住職不在の時期もあったそうだが、現在は順次復興されている。

本堂の扉を開けて中に入ることができる。現在の本尊は十一面観音である。外は雨が降る中でのお勤めとする。外の建物に納経所の札が出ていたが、朱印は本堂の中でセルフ式でいただいた。

本堂の向かいには赤い稲荷堂があり、下から赤い鳥居が続いている。元々の本尊だった荼吉尼天はこちらに祀られているそうだ。神仏習合の名残と言えるだろう。

次の第32番・光明寺はほど近いところにある。雨が続く中訪ねてみよう・・・。

コメント