まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「職業は?」「野球をやっています」・・・スワローズ田口投手が広島で街頭インタビュー

2024年08月30日 | ブログ

8月29日に九州に上陸した台風10号、30日は九州から瀬戸内海を横断しつつあるところである。上陸後に勢力は弱くなり暴風域こそなくなったものの、各地で強い雨となった。広島でも日中から夕方にかけては時折強い雨となった。

その中で30日、広島近郊ではJR在来線、広電の路面電車、そしてバス路線も全面運休となった。動いていたのは山陽新幹線の新大阪~広島間、そしてアストラムラインだけである。特に「アトム」は私の実家近くを走る近鉄南大阪線以上の「最強交通機関」といっていいだろう。

さて県内の動画ニュースでは、路面電車もバスも走らない広島市中心部を映し出していた。ある種異様な景色に見えた。普段ならひっきりなしにバスが出入りする広島バスセンターも無人。また、広島平和記念資料館も臨時休館となり、残念がる外国人観光客の姿も。

そうした街中のインタビューを流す中、本通り商店街で「この人も」と紹介されていたのが、スワローズの田口投手。プロ入りはジャイアンツ、そして現在はスワローズだが、出身は広島、高校は広島新庄高校である。30日~9月1日に広島でのカープ3連戦が組まれていたが、公共交通機関の乱れを想定して早めに広島入りしたという。そして、練習前の時間を利用して広島の街中に出てきたようである。

取材スタッフから「今日仕事は?」と訊かれ、「休みになりました」、さらに「職業は?」と続けられ「野球をやっています」・・・。

生中継ではなくインタビュー画像の編集なので何とも言えないが、田口投手は「昼から練習します」「マツダスタジアムでは全然勝っていないので勝てるように練習します」と返していた。田口投手が午前中に広島の街中にふらり来たのはたまたまで、RCCの取材スタッフは本当に偶然に遭遇したのだろう。まあ、「職業は?」「野球をやっています」のくだりはその場での演出だろうが、田口投手ならそのくらいの受け答えはお安い御用だろう。

さて台風は少しずつ東に向かっており、31日、9月1日のマツダスタジアムでのカープ対スワローズ戦は行われることだろう。首位を明け渡したカープは本拠地で仕切り直しとなるが、その前に、現在スワローズでリリーフを務める田口が「地元凱旋」?でどう立ちはだかるのやら・・・。

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台風のせいでとんだ週末になりそうだ・・

2024年08月29日 | ブログ

台風10号は29日に鹿児島県に上陸し、21時現在、熊本あたりを進んでいる。台風の中心から遠いところでも結構な雨が降り、線状降水帯が発生した地域もある。東海道新幹線ですら早々と全線運休を決め、夜のニュースでは混乱の様子も中継されていた。

私の上司がこの日東京本社での会議のため出張予定だったが、台風の接近を受けて急遽リモートに変更。

さらに、明日30日は広島近辺のJRだけでなく、広島電鉄やバスも終日計画運休が発表された。私の職場でもリモートワークに切り替え、パソコンを持って帰る人も。また、マイカー通勤の人も厳しそうならリモートワークで対応することとしている。

こうして会議や出勤をリモートで対応したり、交通機関も早くから計画運休するのが浸透している。数年前なら考えられなかったことだ。ただ、世の中にはそうしたくてもできない方も多いわけで、くれぐれも無理をなさらないように・・と思う(かくいう私は、立場上雨の中出社しますが・・)。

台風の速度が遅いので、西日本を通過するのは31日~1日という予報である。子どもにとっては夏休み最後の週末だし、私も実はその2日間で四国に渡る計画を立てていた。当初の予報ではその頃には西日本を抜けているというものだったが、段々進路が定まるにつれ、31日はもろに台風の影響を受け、1日も交通機関への影響が残るそうだ。仕方なく指定券やホテル等はすべてキャンセルに・・・まあ、そんなのはかわいいものだが。

ともかく、安全なところで過ごしましょう。何とか被害が最小限で済みますように・・・。

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台風10号、この先日本列島縦断??

2024年08月27日 | ブログ

お盆時期の台風7号は関東直撃か?という寸前に東の海上に進路を変え、想定されていたほどには被害もなくやれやれといったところだった。

それからおよそ2週間後、今度は台風10号が南の海上からゆっくり日本列島に近づきつつある。台風本体は来ていないものの、離れた場所で大雨、そして線状降水帯が発生という恐ろしいことになった。さらにここに来て勢力を増しているとか。

28日以降の予報円も出ているが、なんとまあ、きれいに日本列島を縦断する進路である。今回は広島を含む中国地方も何らかの影響を受けるだろう。進路がゆっくりで、長い期間風雨に耐えることになるだろう。

この週末、はたしてどうなるやら。祈るしかないな・・・。

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紀州鉄道に乗る~神仏霊場巡拝の道めぐり

2024年08月26日 | 神仏霊場巡拝の道

8月17日、道成寺の参詣を終えて御坊に戻る。あ、そういえば次回の行き先を決めるあみだくじがまだだったので、道成寺から御坊に戻る列車の中で候補のくじ引き、そして本選のあみだくじである。

・住吉大社(大阪1番)

・八坂神社(京都36番)

・仁和寺(京都12番)

・大覚寺(京都9番)

・春日大社(奈良2番)

・貴船神社(京都24番)

結構、京都に寄って来た。仁和寺や大覚寺といった洛西地区もまだまだ残っているし、八坂神社が出れば清水寺、六波羅蜜寺といった西国三十三所もセットで行ける。貴船もいいかな・・。大阪の実家に帰省した折、午前中のローカル番組で貴船エリアをぶらぶら回るのを見たばかりということもある。

その中で出たのは、春日大社。おおっ、この5月の連休で訪ねたのだが、「これを何と読む!!」(御朱印は書き置きのみ・・の意)に出くわしたためノーカウントとしたところ。奈良市内でここがポツンと残った形だが、さてどのタイミングで訪ねようか・・。

そして御坊に戻ったが、せっかくなので構内の0番ホームに停まっている紀州鉄道の気動車に乗ることにする。営業キロがわずか2.7キロというミニ私鉄だが、地元の足として、また鉄道ファンも訪れる路線として頑張っている。街外れにある紀勢線の御坊と市街地を結ぶ目的で建設され、かつては御坊臨港鉄道として貨物輸送も手掛けていた。

時代が下り、紀州鉄道という社名になったが、紀州鉄道の本業は不動産やリゾート業で、鉄道業は慢性的な赤字である。赤字ながら鉄道が健在なのは、不動産業を営むにあたり「鉄道会社」であることが信頼につながるという利点があるという理由がある。また鉄道への愛着と信用、そして今注目のグループ全体での「サステナビリティ経営」というやつである。

うーん、サステナビリティねぇ・・。赤字ローカル線と聞いてイメージするのは広島県内を走る芸備線や木次線、福塩線の一部区間だが(今季も、有志の手により芸備線で「呑み鉄列車」が運行されるが)、さすがにJR西日本も中国山地のローカル線まで手が回らないだろう。地元行政も財政が厳しそうだし、大規模な不動産、リゾート会社といえば星野リゾートやアパグループなどが思い浮かぶが、そうしたところに沿線開発と合わせて買い取っていただくのも荒っぽい手ではないかとも考える。

さて紀州鉄道に話を戻す。この時間は数人の乗客で出発。暑さ対策で片側の窓のカーテンは全て閉められている。まずは紀勢線と分かれてカーブを曲がり、御坊の中心部に向かう。

次の駅は学門。県立日高高校(二階俊博氏の母校でもある)の門の前にあることからついた駅名とのことだが、「学問」に通じるということで、受験シーズンには入場券やグッズがよく売れるそうだ。

次は紀伊御坊。紀州鉄道の中心駅で、現在休車の車両も停まっている。

次の市役所前を過ぎ、終点・西御坊に到着。かつてはこの先、日高川まで運転されていたが1989年に廃止された。

道路とは柵で仕切られて立入禁止だが、それでもしばらく線路が残っている。この先の廃線跡めぐりを楽しむ人もいるそうだ。

また西御坊駅近辺は、御坊の地名の由来ともなった本願寺日高別院を中心とした町並みが広がる。一向宗と国人領主が手を組んで一つの勢力となっていたが、豊臣秀吉の紀州攻めで敗退し、江戸時代に現在につながる町並みが形成された。

・・折り返しの列車まで1時間近くあったが、暑いし、以前にも訪ねたので門前町歩きはパス。また一方でトイレにも行きたかったので、ちょうど国道42号線を渡ったところのコンビニ併設のツタヤWAY書店に向かう。涼ませてもらった対価も含めて文庫1冊を買い求める。

西御坊駅に戻ると先ほどの気動車が扉を開けて待機していた。車内に入って涼みながら発車を待つ。

折り返しの時間になると特に案内もなく扉が閉まり、そのまま発車する。途中の各駅から数人ずつ乗客があり、地元の利用があることに安心して御坊に到着。紀州鉄道の支払いは発着とも車内の運賃箱である。精算済券が出ることもなく、そのまま手ぶらでJRの改札口を出る。

待ち時間の間にコンビニでの買い物、コインロッカーからの荷物回収を終え、12時03分発「くろしお18号」に乗る。結局、海南から御坊、道成寺を午前中だけで慌ただしく回った感じだが、早めに帰宅して自宅での時間を増やすことにする。まずは乗り換えなし、2時間弱の行程で新大阪に向かう。

途中では広川地区の風力発電設備、また海南近辺の海岸の車窓を楽しむ。もう、特急でサッと通過するだけでも十分だ。

和歌山からはそこそこの乗車があり、紀ノ川を渡り大阪府に差し掛かる。

和歌山県内は快晴だったが、天王寺が近づく頃には雲が広がった。突然の豪雨ということにならなければよいが・・。

そのまま大阪のうめ地下ホームを経由して、終点・新大阪に到着。今年2024年は東海道新幹線の開業60周年である。コンコースの一角には大阪らしい怪しげなオブジェというか、記念撮影スポットが・・。

新大阪14時23分発「さくら559号」に乗る。当日変更のため通路側の席しか空いていなかったが、2人掛けの広いシートだし、広島までは1時間半の行程。特に隣を気にすることもなく戻ることができた・・。

17日の早い時間に帰宅し、この夜、そして翌18日は広島でゆっくりと過ごした。さて次のお出かけは・・・。

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和歌山6番「道成寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・110(物語の古刹)

2024年08月25日 | 神仏霊場巡拝の道

8月17日、和歌山県・海南の朝。前日の16日は台風16号が関東に接近したことで東海道新幹線の東京~名古屋間が終日運休し、山陽新幹線も本数を減らしての運行となったが、この日は始発から平常通りの模様だ。この日は海南から御坊を経て道成寺に向かい、そこから折り返すコース。当初は、朝は海南でのんびりしてから道成寺に行くことも考えたが、朝風呂にも入ったし、朝食も済ませたし、早めに出かけるとしよう。その分、帰りの新幹線も繰り上げるつもりだ。

ルートインホテルをチェックアウトして、7時43分発の御坊行きに乗る。227系のロングシート車である。気のせいか、乗客は日本人より外国人のほうが多いように見える。それもインバウンドというよりは地域の貴重な働き手ということで・・。関西2府4県すべてで人口減少傾向にあるが、中でも和歌山県は人口、減少率とも関西ワースト。まあそれでも、山陰や四国に比べればまだまだ多いのだが、そりゃ、全国の「鈴木さん」の移住促進もしたくなるわな・・。

ちらりと海岸が見え、昨年操業停止となったENEOSの和歌山製油所の横を通る。脱炭素化の影響による石油需要の減少、人口減少によるものだが、和歌山県としては雇用の受け皿がまた一つ消えることでまた人口流出につながる悪循環だろう。

箕島、藤並、湯浅といったところを過ぎる。藤並からはかつて有田鉄道という私鉄が走っており、現在も廃線跡や車両が残る鉄道公園もある。海南からの野上電鉄もそうだが、和歌山以南にはかつてこうしたミニ路線がいくつか存在していた。

8時32分、御坊着。目指す道成寺は御坊の次の駅だが、次の紀伊田辺行きは9時12分発。いったん改札を出て荷物をコインロッカーに収める。

その御坊駅前には、この方のポスターがまだ健在だ。8月14日に岸田首相が次の自民党総裁選への不出馬を表明してから、政局は次の総裁選への立候補者の話題となっている。裏金問題を受けて自民党の派閥がほとんど解散したこともあり、10~11人が立候補に意欲を示している状況だが、二階俊博氏についてはまったくといっていいほど触れられていない。次期総選挙には子息を候補者に立てることで政界引退はいいが、それで裏金問題もフェードアウトさせるとは・・。

駅に戻る。次に乗るのは9時12分発の紀伊田辺行きだが、その発車直前に和歌山からの列車が到着し、乗り継ぎ客でシートがほぼ埋まった。青春18きっぷでの乗り継ぎ客だろう。この先、紀伊田辺、串本、新宮、亀山と乗り継いできのくに線~紀勢線で紀伊半島を一周することもできる。

御坊を発車したかと思うとすぐに次の道成寺に到着。地図を見ると、御坊駅から道成寺まで2キロほど。本数の少ない列車を待つこともなく歩いても行けそうだ。もっとも、この猛暑の中では無理をせず・・。

駅から2~3分で参道に入る。「天音山道成寺」の石標が立つ。その先には「あんちん」「雲水」といった土産物店が並ぶ。「あんちん」とは、道成寺の「安珍清姫」の物語に登場する修行僧・安珍である。

石段を上がり、山門をくぐる。そのまま正面の本堂に向かってお勤めとする。ちょうど僧の方が堂内にいて「ようお参りです」と声をかけられる。

道成寺が開かれたのは藤原京時代、文武天皇の勅願で義淵僧正によるとされる。義淵は法相宗の僧で、飛鳥の岡寺を開いた人物である。岡寺には「龍蓋寺」という正式名称があるが、飛鳥の地を荒らして人々を困らせた龍を義淵がその法力で池に閉じ込めて蓋をしたことからその名がついている。

道成寺には、文武天皇の后で聖武天皇の母である藤原宮子にまつわる「髪長姫」の伝説がある。その昔、九海士の村長に娘が産まれたが、髪の毛が全く生えていなかった。その時、海中に光るものがあり、海に潜って採り上げると観音像だった。これを拝むうち、娘にも髪が生え始め、「髪長姫」と呼ばれる美しい姿に成長した。それを聞きつけた都人の目に留まり、藤原不比等の養女に召し出された。そして後に文武天皇の后となる。その恩返しとして観音像を祀る寺として開かれたのが道成寺である。

境内の一角にある宝仏殿・縁起堂に向かう。ここで神仏霊場めぐりの朱印をいただくとともに、有料拝観を申し出る。宝仏殿には国宝指定の本尊・千手観音像や脇侍の日光・月光菩薩をはじめとした諸仏が祀られている。エアコンが効いて涼しい室内にて改めての拝観である。

道成寺といえば縁起堂での「絵とき説法」である。髪長姫、そして安珍清姫の物語を住職や職員の方が絵巻物を広げながら説明してくれるものである。有料拝観の方で、申し出れば随時「絵とき説法」をしてくれるそうだ。

・・ただ、この時境内にいた参詣者は時間が早いこともあってか私一人。さすがに差し向かいで説法をいただくのも恐れ多い(というより気恥ずかしい)し、以前道成寺に参詣した時に説法をいただいたことはあるので、今回は朱印のみいただいて失礼する。

安珍清姫の伝説は「道成寺物」として能・歌舞伎で数多く演じられているが、まあ、女性に言い寄られたり愛を告白されたことのない私には縁のない話・・。

「絵とき説法」を省略したことでそのまま道成寺の駅に戻り、今回の神仏霊場めぐりは終了。また一駅、御坊に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道めぐり~海南にて一献

2024年08月24日 | 神仏霊場巡拝の道

8月16日、大阪帰省から和歌山に足を延ばしての神仏霊場巡拝の道めぐり。まずは和歌山7番・藤白神社に参拝し、この日の宿泊地である海南駅前に向かう。

その前に、藤白坂の手前にある有間皇子の史跡に向かう。有間皇子は飛鳥時代、孝徳天皇の皇子である。あの大化の改新後の孝徳天皇と中大兄皇子(後の天智天皇)との政争に巻き込まれる中で謀反を企てたとして、味方とされる人物の密告により捕らえられ、護送中にここ藤白坂で絞首刑に処せられたという。いわゆる辞世の歌とされるのが、有名な「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」である。一見すると「草枕」や「旅にしあれば」という単語に旅情を感じさせるのだが、事実は途中で殺されることが確実な「護送の旅」で、椎の葉にご飯が盛られること自体が屈辱という無念の歌である。

大化の改新後、この孝徳天皇と中大兄皇子との政争のほか、天智天皇没後の壬申の乱、さらには天武天皇没後の皇位継承の争いなど混沌とした時代が続く・・。

さて駅に向かうとして、そのまま坂道を下り、JRの線路下をくぐって降り立ったのはENEOSの製油所。そして道を進むうち、中野BC株式会社の前を通る。中野BCは日本酒「長久」(超久)のほか、梅酒なども製造する酒蔵である。事前予約で酒蔵の見学もできるようだ。

国道42号線の交差点に出る。野鉄観光、野鉄タクシー、野鉄運転代行・・と並ぶ看板がある。野鉄とはかつてこの地を走っていた野上電鉄のことで、鉄道はとうの昔に廃止されたが、その子会社として現在も細々と営業している。

海南駅に向かう途中、このポスターを見かける。あの二階俊博氏・・は次の総選挙には出馬しない意向で、後継として三男の伸康氏が立候補予定である。まあそれは二階氏の願望として好きにすればよいことだが、二階氏は和歌山でも御坊から南の3区ではなかったか。

これは公職選挙法改正による区割り変更のためだ。従来、海南市の地域は旧和歌山2区だったのが、2区と3区が統合されたことで、3区の二階氏が海南市にも登場することになった。和歌山の小選挙区といえば参議院から世耕弘成氏が鞍替えするのではとか言われているが、結局いずれも政治とカネで追われた同士・・。

さて、宿泊地である「ホテルルートインGrand海南駅前」に到着。2024年6月に開業したばかりのホテルである。今回、海南・御坊を訪ねるにあたり宿泊をどうしようか考えたが、海南駅前のルートインということで早速予約していた。チェックインの時間を過ぎており、そのまま部屋に入る。ちょうど駅前ロータリーから先ほど訪ねた藤白神社方面を望むことができる。

まずは光明石人工温泉に入る。まだ早い時間ということで浴槽を独り占めする。その後は部屋にて涼みがてら、夕方の関西ローカル番組を見る。

さて、和歌山、海南に来た。ここまで来れば黒潮の幸で一献・・と行きたいところだが、和歌山市街ならともかく、海南はその点では残念だった。先ほど駅に戻って来た時、駅前を一回りしたが「これ」という店がなかった。中には居酒屋もあったが、18日の日曜日まで盆休みの貼り紙もあった。

そして今回、海南駅構内のコンビニであれこれ買い求めた後、ルートイン内の食事処での一献とした。向かったのは1階のレストラン「なごみ」。セルフでビール、サワー類の飲み放題があるのがポイント。これまでルートインホテルに泊まった経験がある中、夕食も館内というのはなかなかないことだ。

飲み放題を注文すると、セルフコーナーでジョッキを取り出す。そしてサーバーからいただく生ビール。この辺り、ビアガーデン感覚である。まずは塩気たっぷりの枝豆。またスマホにQRコードを読み取り、注文はその画面から行うのでお互い気兼ねない。

配膳にはロボットが活躍。もっとも、ロボットが来たかと思えば店員さんが直接持って来たりと、運用基準はあいまいかな。

この後はビール、サワー(何も入れないプレーンサワーも可)を軸に楽しむ。レストラン内のテレビを観たり、スマホ、さらには文庫本も持ち込んだので時間を持て余すこともない。しっかり飲んだし、ビジネスホテル内の夕食も悪くないなと思う。

締めは「上田カリー」をつかったカリーうどん。上田カリーとはホテルルートインが開発したカレーで、「レトロ&モダンをテーマに、とことんルーにこだわった」という一品である。この上田とは、ホテルルートイン発祥の長野県上田市にちなんだ命名。上田カリーは何にでもよく合うとのことだが、今回カリーうどん、そしてご飯も追加してジャンキーにいただく。旨味ある。

さてこの後はもう一度光明石人工温泉につかり、部屋でゆったりする。実家帰りとは違った快適さでのんびり過ごすことに・・・。

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和歌山7番「藤白神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・109(全国の鈴木さん集まれ!)

2024年08月23日 | 神仏霊場巡拝の道

盆休み中の8月16日。この期間は南海トラフ地震臨時情報あり、岸田首相の次期総裁選不出馬表明あり、台風7号の接近ありと、いろいろあった。台風7号が伊豆諸島から関東、東北に接近・上陸の恐れとの予報を受け、14日の時点で早々と、16日は東海道新幹線の東京~名古屋間の運転を終日取り止めることを発表した。予定を切り上げて15日までに移動するよう呼びかけられている。

そして16日の東海道新幹線、名古屋~新大阪間は「こだま」のみ1時間に2本程度の運行。そして山陽新幹線も「のぞみ」の東海道区間への乗り入れは取り止め、本数は半減。一応、新大阪から西に向かう「さくら」や「こだま」は平常運転とある。

その16日だが、実家を後にした私が向かうのは広島ではなく和歌山。神仏霊場巡拝の道めぐり、前回7月の京都5番・善峯寺でのあみだくじで出た和歌山6番・道成寺を目的地とした札所めぐりである。今回大阪まで来ているので、少し足を延ばして神仏霊場めぐりの難関である和歌山に行くことにした。その途中の海南にある和歌山7番・藤白神社と合わせて、和歌山県はほぼ終了となる。

16日、天王寺13時32分発「くろしお13号」に乗車する。特急「くろしお」も南海トラフ地震臨時情報の影響で、前日15日までは和歌山以南の区間では運転取り止めとなっていた。それが解除されて通常ダイヤとなっているが、特に和歌山以南は津波リスクの大きいところ。「くろしお」車内には車外避難用の梯子も備え付けられている。

全体的にガラガラでのんびり過ごす。まずは阪和線を快調に走り、和歌山県境の山越えである。神仏霊場めぐりで和歌山県には何回か足を踏み入れており、今回、藤白神社、道成寺を訪ねると残りは岩出の根来寺のみとなる。

紀ノ川を渡り、和歌山に到着。

この次が海南である。14時27分着。天王寺から約1時間の距離である。和歌山県に入って少し進んだところの地名だが、「海南」という文字にはどこかしら旅情を感じる。この「海南」だが、昭和初期に海草郡の町村合併で誕生した名前で、海草郡の南部にあることから名前がついたそうだ。

駅前にルートインホテルがある。この日はここに宿泊し、翌朝御坊に向かうことにする。チェックイン前だが、フロントで荷物を預かってもらう。藤白神社まで徒歩で往復すればチェックインの時間となり、ルートインホテルならではの大浴場で汗を落とすこともできる。

藤白神社へは、きのくに線の高架沿いに歩くとわかりやすい。その途中に万葉歌碑の一つを見つける。「紀伊の海の 名高の浦に寄する波 音高きかも 逢はぬ子ゆゑに」とある。この辺りは名高の浦と呼ばれる地で、そこに打ち寄せる波のように、まだ逢ってもいない娘との間に高いうわさが立ってしまった・・という意味だという。

きのくに線の高架の山側に、熊野一の鳥居跡、祓戸王子跡といった標識を見る。これから向かう藤白神社は平安~鎌倉時代にかけて広まった熊野信仰において、熊野九十九王子の中で格式の高い五体王子の一つとされ、熊野の聖域の入口とされた歴史がある。

少し進むと鈴木屋敷に出る。「鈴木さんいらっしゃい」の幟も立つ。「鈴木」といえば「佐藤」に次いで日本で2番目に多い苗字というが、このルーツは藤白神社にあるという。ここを拠点に全国に熊野神社を建て、熊野信仰を広めたことによるもので、稲を積み重ねて天皇に献上したのを「すずき」といったことから「鈴木」になったとか、熊野権現のご神木に鈴をつけて神武天皇一行を案内したことから「鈴木」になったとも言われている。

この夜、海南のホテルで一献やりながら、「鈴木姓、野球選手にも多いよな・・」と考えていた。真っ先に思い浮かんだのは近鉄の大エース・鈴木啓示。そして、ヤクルトから近鉄に移籍して「もう一人の鈴木」として投げていた鈴木康二朗(王貞治に当時の世界新記録となる756号本塁打を打たれた投手・・のほうが有名かな)。道産子パワーの鈴木貴久もいたな。オリックス関連ならマック鈴木にK-鈴木、今季ドラゴンズから移籍の鈴木博志・・。

現役他球団ならイーグルスの鈴木大地、カープからメジャーに行った鈴木誠也もいる。一昔前ならベイスターズの鈴木尚典とか・・。

・・あ、彼らよりビッグネームを忘れていた。イチロー・・・・本名・鈴木一朗。

藤白神社の境内に入る。元々は藤白王子ということで、熊野行幸の折にはここで宿泊して法楽会などを催したそうである。当時の行幸は信仰のためといいつつも、京の都を離れてさまざまな祭典を行うイベント要素も強かったそうだ。

その中で、後鳥羽上皇の行幸に随行したのが藤原定家。本人は出世のきっかけにすべく随行したのだが、その道中は上皇のパシリ・・もとい添乗員のような役割で、行幸に先立って様々な段取りをこなしたり、時には上皇とともに歌を詠んだり、その割には粗末な宿に泊まらされたり・・。そのボヤキが日記の一部として現代にも伝わっており、小倉百人一首の選者の素の顔を見せるものとして貴重な史料となっている。

その後、戦国の兵乱で社殿や領地を失ったが、江戸時代に浅野幸長、さらには徳川頼宣といった紀州藩からの寄進や社殿の再建で復興した。

さて、手を合わせよう。「鈴木さん 今日はどちらから来られましたか 鈴木さんご署名所」というのがある。その掲示板には、テレビ番組「ナニコレ珍百景」で訪ねたという鈴木拓さん(ドランクドラゴン)、鈴木砂羽さん(女優)、鈴木亜美さん(歌手)の3人の鈴木さんの「署名」が掲げられている。この「珍百景」とは、「鈴木」姓発祥の地である海南市が移住促進のため、「鈴木さん」に1世帯100万円の支援金を出すというもの。対象は東京23区在住、もしくは東京圏在住で23区内に通勤する「鈴木さん」だとか。支援金をいただくには何年か住むなどの条件はあるが、さまざまな自治体で移住促進の支援が行われる中、「姓」をターゲットとした支援というのはなかなかないのでは。

本殿の横には藤白王子権現堂がある。熊野三所権現本地仏として、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音が祀られている。いずれも平安時代の作とされ、熊野信仰というのは神仏習合の要素が強いのだが、明治の神仏分離による廃仏毀釈を免れて現在も残っている。

最後に朱印をいただく。

この日の神仏霊場めぐりはこれで終了。後はテクテクと海南駅に戻ることに・・・。

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観戦記・バファローズ対イーグルス@京セラドーム大阪~今季大阪観戦初勝利はサヨナラで!

2024年08月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

8月15日、お盆の京セラドーム大阪である。この日行われたバファローズ対イーグルス戦を、人生2度目のフィールドシート・大商大シートにて観戦。さて試合内容は?

まずはバファローズの先発・背番号96の高島が登板。このところ、バファローズはルーキーや育成からの支配下登録選手に90番台をつける傾向があり、昨年活躍した東、宇田川は10番台に「出世」。今季は私の勤務先企業出身の「優勝」古田島の97番や、この高島の96番といったドラフト組、また育成から新たに支配下登録され1軍登板も果たした93番・佐藤、95番・才木らが続く。

その高島は初回、先頭の小深田を打ち取り、続く村林は四球としたものの辰己、阿部と退けて無失点。

そして初回のバファローズ。イーグルス先発の岸から先頭の大里がヒットで出塁。その後二死から4番・森が右中間へのタイムリー二塁打を放ち1点先制。このイーグルスとの前の2試合で1得点、その前のマリーンズ3連戦で2得点だけだった打線だが、久しぶりのタイムリーである。

この後は高島、岸がそれぞれ粘りの投球を見せる。

3回裏、バファローズは一死から大里、来田の四球でチャンスを作るが、池田、森が凡退して追加点ならず。続く4回表、イーグルスは二死から鈴木が大里のエラーで出塁するが浅村が凡退。

1対0のまま、5回裏のハリセンタイム。さすが大商大シートで、チアパフォーマーのBsGravityのメンバーも近い。それはそうと、すぐ後ろのエリアからは歌の節目ごとに「○○○~!!」というおっちゃん連中、いやヲタどものコールが起こるのだが、正直気色悪い。

ヲタ連中はさておき、初回の森の先制タイムリー、そして高島が5回まで無失点ということで試合展開としては上々。さてさて後半は・・。

6回表、二死から辰己が四球で出塁。マウンドにコーチが向かったが、続く阿部がヒットでつなぐ。

このチャンスに鈴木がさすがの勝負強さを見せ、左中間への当たりを放つ。これで辰己、阿部が生還し、鈴木も三塁に到達。2対1でイーグルスが逆転した。あらあら・・・これにはさすが今季観戦全敗のジンクスが頭をよぎる。それでもこの日は次の浅村が不調でさらなる得点とはならなかった。

そして直後の6回裏、問題となるプレーというか判定が起こる・・。

この回、先頭の来田がヒットで出塁。続く池田がバントするも失敗で、ランナーが入れ替わったところで森を迎える。

ここで森がセンターへの大きな当たり。同点打か!と思った打球だったが、私の座席からだとセンターの辰己が直接捕球したか、フェンスに当たってから捕球したかよくわからなかったが、気が付けば一塁走者の池田が一・二塁間に挟まれ、二塁でタッチアウト。同点どころか、一気に3アウトとなりイーグルスナインがベンチに戻っていた。どうなっているのやら。

審判団が何やら協議する中、バファローズの中嶋監督がリクエスト要求の物言いではなく、グラウンドに出て審判団と言い争いになっている。何がどうなったのやら。イーグルスのラッキー7ということで球団歌が流れるところだが、グラウンドの様子にレフト側応援団もトーンダウンの様子である。

その後も中嶋監督、水本、田口コーチ等がグラウンドに居続ける。

試合後にはいろいろなネット記事が出て、ようやくこの場面の様子がわかった。森のセンターへの打球だが、この打球を判定したのは二塁ではなく三塁塁審という(そういう状況だったそうだ)。三塁塁審は打球がフェンスに一度当たってからセンター辰己が捕球したとしてフェアと判定した。

打った森は長打を確信して二塁を目指したが、一塁走者の池田は直接捕球のアウトと判断して、一・二塁間から一塁に戻ろうとした。この時二塁に向かおうとした森が池田を追い越す形になり(森は池田に進塁するよう叫んだそうだが)、森はアウト。そしてフェアの判定でインプレー中、一・二塁間にいた池田は挟まれる形になり、二塁を目指したがタッチアウト。記録は森のシングルヒットだが、送球の間に2つのアウトとなり、一気にチャンスがつぶれた。

この打球を判定したのは三塁塁審だが、中嶋監督はそれに納得がいかなかった模様である。打者、走者とも三塁塁審の判定なんか見えんやろと・・。まあ、仮にセンター辰己が直接捕球したとの判定だったとして、一塁に返球された時点で一塁走者の池田もアウト。結局どちらになっても併殺でチェンジ・・。こういう状況だから物言い(リクエスト)とはいかないし・・(セーフのジャッジに対してアウトではないか?と物言いをつけるのも変だ)。

まあ、審判の技量についてはさまざまな意見があるところだが、この時私個人としては、この期に及んで珍しく長々と抗議するほどの場面だったのかな?という思いでこの場面を観ていた。優勝争いの一戦でもないし、抗議するならもっと他にそういう場面があったのでは?とも思っていたが・・・。

抗議の後の7回表、山田が登板。高島は6回で3安打3四球2失点。ルーキーの先発として好投した。後を受けた山田は危なげなく三者凡退。先ほどの抗議で、イーグルスのラッキー7のムードがしぼんだかな?

7回裏、バファローズのラッキー7。イーグルスも岸から藤平に交代し、あっさりと三者凡退とする。そして8回表はバファローズ3人目の吉田が好投を見せる。

8回裏、イーグルスは3人目の鈴木。現在のイーグルスの勝ちパターンの投手である。一死から若月が四球で出塁し、代走に廣岡が起用される。その後二死二塁となったところで、来田の当たりはセンターへ。これが三塁打となり、2対2の同点に追いつく。若手の活躍に大きな声援が起こる。

9回表は抑えのマチャドが登板。二死から浅村に同点の走者となる四球を与えるが、その浅村、何を思ったか盗塁を仕掛ける。え?浅村って盗塁するタイプだったっけ・・。結果は余裕でのアウト。ここは打席の小郷にエンドランか何かのサインを出していたのが上手くいかなかったのだろう。

同点の9回裏、イーグルスのマウンドは渡辺。ここで先頭の森が二塁打で出塁。続くセデーニョのところでバント要員として山足が代打で起用されるが、守備を優先して申告敬遠。続く西川でどうするかというところだったが、結局敬遠ではない四球で無死満塁となる。

ここで迎えるのはこれまで無安打の紅林。とっておきの「紅球必打」である。何せ無死満塁、どう転んでも点は入るだろう・・。

2ストライクから紅林の当たりはライト線へ。文句なしのサヨナラ打!3対2! チームの連敗が止まった、そして私の京セラドーム大阪での観戦連敗も止まった!!

バファローズナインが内野で歓喜の輪となる中、イーグルスのライトを守っていた小郷はしばらく打球を手に立ち止まっていた。バファローズナインがはけるのを待っていたようにも、「今の打球、ファウルじゃないの?」と無言の抗議をしているようにも見えた・・。

やれやれ、これで今季の現地観戦は京セラドーム大阪で初白星。通算で2勝6敗1中止1見送り・・・。

お立ち台は同点打の来田、そしてサヨナラ打の紅林。紅林も1軍生活が長いので中堅どころと言えるが、年齢的にはまだまだ若手。これから中軸を担ってほしい野手陣。他にもこの試合に出場した大里、池田といったところとも競争してほしいものだ。

・・そのヒーローインタビューの前に、この夜で今季の関西遠征が最後となるイーグルスナインがグラウンドに登場した。レフト側はもちろん、ライト側、一塁側からも大きな拍手が起こる。まだ8月お盆時期だが、対戦カードによっては早くも「今季最終戦」となるのか・・。バファローズ、イーグルスともクライマックスシリーズ進出が厳しい状況だが、熱戦を見せてくれた。うーん、いつの日か仙台、東北の球場でこのカードを観戦したいのだが・・・。

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観戦記・バファローズ対イーグルス@京セラドーム大阪~久しぶりの大商大シートへ

2024年08月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

お盆の帰省、法要に合わせての野球観戦。ちょうど京セラドーム大阪では13~15日にイーグルス戦、そして16~18日にファイターズ戦という6連戦である。このうち、法要も終わった15日のイーグルス戦観戦に出かける。

当初は内野上段の指定席を確保していたのだが、チケットのリセールサイトを見ていると、一塁側・大商大シートBの出品を見つけた。1席の価格も抽選販売の定価に手数料相当が若干プラスされた程度で、法外な価格ではない。防球ネットのないグラウンドレベルでの野球観戦もいいだろう。このエリアでの試合観戦はこれまで2010年に一度だけあり、その当時は法律事務所がスポンサーとなった「アヴァンスシート」という名前だった。ちょうどその試合ではバファローズがベイスターズを破り、オリックス・バファローズとして初のタイトルとなる「交流戦優勝」を飾ったのを憶えている。

それ以降、観戦しようとたまに抽選に応募するが落選、またリセールサイトでも高値での取引でなかなか手が出ず、15日の試合にほぼ定価で入手できたのはラッキーである。

15日は午後から神仏霊場巡拝の道めぐりとして道明寺天満宮に参拝し、大阪阿部野橋駅近くで入場前の一献とする。当初、久しぶりに入ろうとした店が盆休みだったり満席だったりのところ、「晩杯屋(バンパイヤ)」という東京ルーツの立ち飲み屋を見つけた。大阪では珍しく業務用のビンに入ったホッピーあり、その他さまざまなアテもリーズナブルで出るのも早いし、大阪のおっちゃん連中も満足の様子である。初見だからプラスに見えた部分があるかもしれないが、ここはまた帰省、あるいは弾丸札所めぐりの帰途に立ち寄ってみよう。

大坂夏の陣の激戦地の一つだった道明寺から、現代のBs夏の陣の舞台である京セラドーム大阪に来た形だ。公式戦は8月、9月と続くが、私の予定を見るにおそらく今季最後の京セラドーム大阪になるかと思う。この試合前まで、京セラドーム大阪での観戦成績は5戦全敗。この日のイーグルス戦でパ・リーグ5球団との対戦が一回りするが、せめて最後は勝って終わりたいものだ・・。

この日は「侍ジャパンDAY」ということで、幟が出ており、入場時には記念のうちわも配られていた。通路にはU-18侍ジャパンの壮行試合のPRのためのキャラクターも見かける。

大商大シートに向かう。ちょうどイーグルスの打撃練習中で、大商大シートの前にも防球ネットが立てられている。打撃練習の中で投手陣もアップの最中だが、一塁側シートの前でかつての山本由伸のようにやり投げ(パリ五輪で金メダルもとりましたなあ)でアップをするのはあの投手ではないか・・。

シートに入る時にグラブを渡され、席に備え付けのヘルメット、ゴーグルの着用を呼びかけられる。試合中にファウルボールが直接飛び込むことも想定され、また守っている野手がボールを追ってすぐ目の前に来る可能性もある。それも楽しみにしていたが、この試合に限っていえばゆるいフライが2球ほど飛んできただけ。試合観戦のうえでは安全だったが・・。

イーグルスの打撃練習も終わり、グラウンド整備とともにシート前の防球ネットも持ち去られた。一気にグラウンドの視界が広がった。

ベンチ前でキャッチボールしているのは、オリックスOBの谷佳知さん。アトランタ、アテネ五輪野球のメダリストの一人である。ちなみに奥様はシドニー、アテネの金メダル2個を含む五輪5大会連続メダルの谷(田村)亮子さん。パリ五輪は終わったばかりだが、次のロス五輪では野球も復活する見込みだし、侍ジャパンにも新たな目標ができることだろう(さすがにロス五輪にはアメリカもメジャーリーガーを出場させるのではないかと言われている)。

スタメン発表。盆休みの一区切りである15日の夜だからか、あるいは両チームの順位によるものか、満員とまではいかない。それでも熱心な両チームのファンが多数詰めかける。イーグルスの先発はベテランの岸。

バファローズはルーキーながら先発初勝利も挙げた高島が登板する。イーグルスのスタメン発表時に目の前を移動し、グラウンドで改めてキャッチボールで体をほぐす。

バファローズはこのところ1番定着の大里に始まり、来田、池田といった若手も登場。

試合前の両チームの表情。やはりこの角度からだと選手の表情もしっかりうかがえる。イーグルスベンチでお面をかぶって声出ししているのは誰かな?

バファローズのナインが守備位置に着いた後、先ほどキャッチボールしていた谷佳知さんによる始球式。

2015年の現役引退試合以降初めてのこのグラウンドだという。その後、バファローズを含むNPB球団から指導者の声がかからないのももったいない話だが・・。

いよいよ試合開始。例によってここまでが長々とし過ぎたので、観戦記は次の記事にて・・・。

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大阪17番「道明寺天満宮」~神仏霊場巡拝の道・108(さまざまな思い出語ります・・)

2024年08月20日 | 神仏霊場巡拝の道

今年のお盆は大阪の実家で過ごす。13日に広島から高速バスで移動し、実家に到着。昨年他界した父の葬儀以来お世話になっている高野山真言宗の寺院から届いたお札等を仏壇に飾りつけ、一応迎え火も焚いてお盆の準備とする。

翌14日、寺院から山主自ら実家に来ていただき、お盆の供養。暑い中、檀家の要請を受けてルートを決めて回ってらっしゃるが、やはり13日~16日がピークで、山主自らクルマを飛ばしても1日10軒が限度。ちょうどご子息が高野山で修行中の身とのことで、晴れて正式に僧侶となれば負担も少しは軽減されるそうだが・・。

そして15日。この日は京セラドーム大阪でのナイター、バファローズ対イーグルスを観戦する予定である。今回の帰省はお盆の法要に加えて野球観戦、そして神仏霊場巡拝の道めぐりと盛りだくさんだ(その合間に、実家で長年使っていた冷蔵庫の寿命が来たために、家電量販店での購入~納品・引取の対応というのもあったのだが・・)。

ここで神仏霊場巡拝の道のことが出たが、前回7月、消化不良気味の湖東地区、その後の善峯寺を回り、次の行き先を決めるあみだくじで出たのは和歌山6番・御坊の道成寺である。今回の機会を利用して、16日~17日にかけて海南にある和歌山7番・藤白神社とセットで訪ね、和歌山以南をクリアするつもりである。

さて15日、京セラドーム大阪に向かう前に早めに実家を出発。近鉄の藤井寺から大阪阿部野橋行きに乗るところ、逆方向の古市方面の列車に乗る。そして2駅、道明寺で下車。和歌山に行く前段として、実家近くにある大阪17番・道明寺天満宮を訪ねることにした。

実家のすぐ近くには西国三十三所の第5番・葛井寺がある。葛井寺は神仏霊場めぐりの大阪18番札所でもあり、以前正月に帰省した折に神仏霊場めぐりの朱印もいただいている。この時、同じ市内ということで道明寺天満宮にも向かったのだが、正月3ヶ日は朱印は書き置きのみの対応とのことで、札所めぐりとしてカウントしなかった。初詣で忙しい時期なのはわかるが、わざわざ札所まで行ったにも関わらず「これを何と読む!!」と言われた形でがっかりしたのを覚えている。神仏霊場めぐりでは同様の事情で複数の札所がノーカウントとなっているが、今回、神社はお盆関係ないだろうということで訪ねてみた。

道明寺は近鉄南大阪線のほか、道明寺線も発着する。現在は2両編成のワンマン列車がJR大和路線の柏原との間をのんびり行き来する路線だが、現在の近鉄の中ではもっとも古い歴史を持つ路線である。

駅前にあるのは道明寺合戦の石碑。江戸幕府と豊臣氏による大坂夏の陣での激戦地の一つで、後藤又兵衛が壮絶な戦いの末銃撃により戦死したところである。

駅前の細い道をたどると楼門に出る。道明寺天満宮は元々土師神社(土師社)と呼ばれており、相撲の祖といわれる野見宿禰が「土師」の姓とこの辺り一帯を所領として賜り、天穂日命を祀ったのが始まりとされる。仏教伝来後は神宮寺として土師寺が建てられ、土師氏から出た氏族の一つに菅原氏がある。その菅原氏から出たのが平安時代の菅原道真。言わずと知れた学問の神様、天満宮の主祭神である。

道真が大宰府に左遷される際、自身のルーツであるこの地を訪ね、土師寺にいたおばの覚寿尼にも会って別れを惜しんだという。そして道真亡き後、その霊を慰めるために土師神社に天満宮が建てられ、土師寺にも道真の号である「道明」の名前がついた。天満宮はその後あちこちに建立され、現在だと大宰府天満宮、北野天満宮、大阪(天満)天満宮が有名だが、こちら道明寺天満宮も道真ルーツの地の神社として知る人ぞ知るスポットである。

この道明寺天満宮、私個人としては懐かしいスポットである。私はここ藤井寺市出身だが、大学卒業まで過ごしたのは同じ市内でも道明寺寄りである。よって、七五三のお参り、初詣、受験の合格祈願・・などでちょくちょくお参りに来ていた。また梅のスポットとして知られており、梅の時季には境内に多くの露店も出ている。・・さすがにこの猛暑の中ではそうした出店はおろか、他の参拝者の姿もなかったが・・・。

今回無事に朱印をいただく。墨書は「菅原大神」。

境内の一角には、近所の古墳から出土した修羅の復元展示がある。現在世界文化遺産に登録されている百舌鳥・古市古墳群だが、巨大古墳にも使われた大きな石をどのようにして運んだのかを示す貴重な史料として、出土当時はブームにもなった。

また一角には土師社があるが、その手前にある手形は藤井寺市出身の元幕内・花ノ国のものである。初土俵から新入幕までの場所数は当時でも何番目からのスロー出世だったが、新入幕を祝う新聞記事や幕などが当時私が通っていた中学校に掲げられていたと思う。校長よりも教頭が朝礼の挨拶でうれしんでいたように思う。

花ノ国は三役まであと一息の前頭筆頭まで出世し、敢闘賞1回、金星1個を獲得。ただ記憶に残るのは対千代の富士戦で、千代の富士が大鵬の記録を抜いた46連勝目の相手だったり、千代の富士の当時前人未到の通算1000勝の相手だったり・・(花ノ国は自身を「王貞治に当時世界新記録となる756号本塁打を打たれた鈴木康二朗のようなもんや」と振り返ったそうで・・)。

そういえば私の中学卒業時、同学年で大相撲に入門したK君というのがいて、大きな体格のに着物をまとった姿で卒業式に現れたのを生徒たちが取り囲んでいたなあ。花ノ国がスカウトしたかどうかは知らないが、同じ放駒部屋(当時)に入門したとのこと。卒業アルバムを見返すと寄せ書きに「東京で3年はがんばる」と書いていたと思うが、厳しい相撲の修行、それから何年持ったのかな・・。

花ノ国は引退後、襲名資格はあったが年寄株は取得せず(できず?)、四股名の花ノ国のまま若者頭として相撲協会に残っている。幕下以下の力士の指導役や(早い時間のBS中継に解説で出たこともあるらしい)、本場所の運営・進行に携わる裏方として長く貢献し、先の名古屋場所でも千秋楽のテレビ中継で各段優勝決定戦や表彰式での力士の誘導役などで目にした。

スポーツ刈りで、眼鏡をかけた恰幅のいいおっちゃんが若手力士に何やら言葉をかけているのが花ノ国その人である。ただ、さすがに65歳の定年を迎えるようで、年寄株のような定年延長、嘱託の対象外のため、退職となるのかな・・。もしそうだとしても、長く大相撲を支えた藤井寺市ゆかりの有名人として大いに拍手を贈りたい。

久しぶりの天満宮を回った後、近くにある道明寺にもお参りする。明治の神仏分離で現在は別々の寺社だが、共通しているのは菅原道真ゆかりということ。

このまま、土師氏の名前を受け継ぐ土師ノ里から近鉄南大阪線に乗車。さてこれから向かうのは・・・。

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広島~大阪間高速バス 新たに西条駅に停車

2024年08月19日 | 神仏霊場巡拝の道

南海トラフ地震臨時情報にともなう一部列車の遅れや運休、そして台風7号の接近が気になる中で迎えた2024年のお盆時期。大阪の実家でのお盆供養の予定等あり、帰省、野球観戦、さらには神仏霊場巡拝の道めぐりをセットにしてのお出かけである。まずは13日、広島から大阪への移動である。

今回選択したのは広島から大阪へのJR高速バス「広島エクスプレス大阪号」である。何度か利用しているルートで、以前は本数も多く、またJR大阪駅のほかJR難波(湊町バスターミナル)、USJにも乗り入れていたが、現在は夜行便を含めて1日3往復のみである。もとより新幹線と競合する区間だし、運転手の確保等も含めてなかなか難しいところもあるのだろう。今回は大きな荷物もあるし、大阪までの約5時間、日中の車内を3列独立シートでのんびり過ごすのもよいかと思い選択した。特に最前列だと、ハンドルを握る緊張感なく運転手気分を楽しめるのがよい。

広電で紙屋町に出て、バスセンターに向かう。今回乗るのは朝便。7時20分と早い時間ということもあり、始発のJR広島駅から数名乗っていたが、お盆時期にも関わらずそれを含めて席には十分な余裕がある。

国道54号線を走り、中筋駅に停車。さてここからJR大阪駅までノンストップ・・と思いきや、次は山陽線の西条駅北口に停車との案内がある。いつから変更されたか気づかなかったが、広島市内でちまちま停まるより、東広島近辺の需要が見込まれるということだろうか。

広島インターから山陽道に入る。車両の通行量は普段の週末と変わらない様子で、特に渋滞もなくスムーズに走る。そして西条インターでいったん外に出る。

酒蔵の看板を見た後、西条駅に到着する。果たしてここで数人の乗車があった。日中便は西条駅のみ停車だが、夜行便は広大中央口、大学会館前にも停車する。安く移動したい広大生を新たなターゲットにしたかな。

西条インターに戻る。この経路変更で所要時間が変わったためか、従来の大阪便の途中休憩が八幡パーキングエリア、吉備サービスエリア、淡河パーキングエリアだったのが、小谷サービスエリア、吉備サービスエリア、三木サービスエリアに変更されている。もっとも、それぞれの休憩時間が約10分というのは変わらないから、サービスエリアだから何か特別なことができるわけでも、グルメを味わえるわけではない。まあ、その辺りは自分のドライブにて・・。

吉備に到着。岡山インターの手前にあるサービスエリアで、大阪までようやく半分まで来たことを感じるところだ。山陰、四国方面から関西への合流地点ということもあり利用客も多い。

この先も特に渋滞なく、ウトウトするうちに兵庫県に入り、三木に到着。土産物コーナーには関西各県の名物が並ぶ。クルマで来ていたらいろいろ買っていたことだろう。

山陽道から神戸ジャンクションで新名神・中国道に合流する。この先、京都、滋賀方面に行くなら新名神が近道だが、高槻~大津間で20km渋滞との表示がある。新名神や第二京阪といったルートもあるが、やはり山越えの区間では渋滞が発生するのだろうか。

新名神の高槻~神戸が開通したことで、かつては渋滞発生箇所だった宝塚インターもスムーズに通過する。中国池田から阪神高速に入り、このまま順調に大阪に着きそうだ。

うめきた地区の工事が順調に進む中、ほとんど遅れなくJR大阪に到着。時刻は昼を回っていたが、そのまま天王寺まで移動。かつて大阪勤務時代にちょこちょこ行っていた居酒屋にて昼からの一献・・・。

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第85番「安養院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(これで広島市内は終了ということで、大衆食堂での一献)

2024年08月18日 | 広島新四国八十八ヶ所

2回目の広島勤務となってしばらく、ちょうどコロナ禍の中、2021年1月に始めた広島新四国八十八ヶ所めぐり。集注して回ったり、一方で数ヶ月のブランクがあったりしたが、ようやく第85番である。どこかの札所を引き継いだのか、廿日市から宮島に向かうところが広島駅近辺に戻り、安養院に向かう。

8月12日、南海トラフ地震臨時情報が続く中、世間は盆休みに入る。朝から真夏日、猛暑日の中、広島駅に向かう。外国人を含めた旅行客の姿も目立ち、みどりの窓口、みどりの券売機にも行列ができている。地図を見ると、目指す安養院は新幹線口から出て、ちょうど新幹線の高架に沿って歩くと到着するようだ。

新幹線の高架橋の向こう、在来線の線路・車両区や広島貨物ターミナル越しにマツダスタジアムが見える。ちょうどこの日はナイターでベイスターズ戦が予定されている。午後になると赤いのをまとった人たちが広島駅周辺に大勢姿を現すことだろう。

新幹線で広島を出発するとすぐ左手に見える「WE♡CARP」の看板。そのちょうど手前に当たるところに「三宝大荒神」の看板と鳥居が見える。本尊は如意輪観音、主尊に三宝大荒神とある。三宝大荒神とは、仏・法・僧という仏教の「三宝」を守護する神である。ここまで歩いてくる途中に荒神陸橋や荒神交差点といった「荒神」の名前があったが、この三宝大荒神からついているのかな。

安養院が開かれたのは江戸時代、浅野氏の広島転封後である。当初は比治山の中腹にあり、頼山陽で知られる頼家の菩提寺ともなったが、明治の神仏分離により、江戸時代から現在地にあった荒神社に移転・合併となった。

こちらの荒神社も江戸時代には浅野氏から所領の寄進を受けるなどの歴史があり、この石鳥居も当時のものだという。ただ明治、大正以後は鉄道の開通にともない境内地が減少し、さらに新幹線の建設工事もあって現在は小ぢんまりした規模となった。

現在は神仏習合の名残ある貴重な存在のようだ。本堂の窓ガラスには仏式、神式それぞれの作法の説明書きが貼られている。

箱に入った朱印をいただき、安養院のお参り終了。これで残すは宮島の3ヶ所となった。最後には弥山への登山が待っているが、さすがに猛暑日が続く8月は控えたほうがよさそうかな・・。

時刻はちょうど昼近く。当初は広島駅まで来たので、駅ビル内の銀座ライオンで生ビールでもいただこうか・・と考えていたが、線路際を歩く間にふと思い立ち、「開かずの踏切」の一つである愛宕踏切を渡り、駅の南側、猿猴橋方面に向かう。

やって来たのは「大衆食堂 源蔵本店」。朝から開業している大衆食堂で、もちろん定食メニューも充実しているのだが、魚料理を中心に朝から飲める店としても知られている。地元の人、東京方面からの観光客グループなどで賑わう中、幸い空席があった。

こちらの名物は1リットル入りの特大ジョッキ。ジョッキに描かれたイラストのモデルは、吞兵衛キャラで知られる赤穂義士の一人・赤垣源蔵であろう。大阪にはこちらも大衆酒場・立ち飲みの赤垣屋がある。史実では下戸だったとされる赤垣源蔵だが、ならばなぜ「忠臣蔵」では呑兵衛として描かれたのだろうか。

高校野球のテレビ中継を観ながらの一献というのも夏ならではである。

そして店の人気メニューの一つである鯛のあらだき。日によっては午前中で売り切れになるという。一緒に煮込んだ豆腐もついてくるお得な一品で、鯛のほうもちゃんと身がほぐれて食べ残しもほとんど出ない。

広島の地酒もいろいろあるが、鯛に合わせるという意味で瀬戸内側、三原の「酔心 橅のしずく」にスイッチ。

その後はサワーもいただき、広島新四国八十八ヶ所めぐりの今回の「直会」はこれで終了。

・・広島駅に向かう。現在南口の大規模な整備工事が続く中、2025年の開業を目指し、広島駅の2階部分に広電の路面電車が乗り入れるための橋桁も掛けられた。稲荷町へのショートカットを含め、まだまだ先の話だと思っていたことがいよいよ現実のものになりそうだ。中国地方の中心都市とはいえ、地域全体の地盤沈下が懸念されている広島、このプロジェクトが完成した後、はたしてどのような魅力を内外に発信することができるだろうか・・・。

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岸田首相が自民党総裁選不出馬を表明

2024年08月15日 | ブログ
盆時期は法事のため大阪に帰省、また後半は野球観戦、また神仏霊場巡拝の道めぐりを予定しているが、ニュースでは南海トラフ地震への警戒、そして台風7号の関東東北への接近の呼びかけ。16日は東海道新幹線も東京〜名古屋間が終日計画運休となる。

そんな中、14日に急に飛び込んだのが岸田首相の次の自民党総裁選への不出馬表明。盆時期で政治家の皆さんや記者の方もお休みの方が多いだろうに、どういう意図でこのタイミングでの発表になったのやら。お盆明けと同時に政局が始まるようにということかな。

広島選出ということで期待をしていた面もあり、G7広島サミットを無事仕切ったことは評価したい。ただ、政治不信、経済政策、外交・・・これは難しい課題だが、目立った成果が出なかったのは残念。ただ、他の方が首相だったとして、果たして成果は出せたかどうか。それだけ、日本の構造自体がもう回らなくなっているのかもしれない。

難局だらけの中、首相を務めてご自身の目標を達成されたことについては、お疲れ様でしたと言っておこう。

さてこれからの焦点は自民党総裁選となるが、立候補が取り沙汰されている方々の顔ぶれを見ても、どうだかなあ・・・。
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南海トラフ地震臨時情報・・いよいよやって来るのか?

2024年08月09日 | ブログ

8月8日の夕方、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が発生。

この日は朝から外出しており、新幹線で広島に戻り、改札内のビジネススペースでパソコンを開けてWEB会議に参加していた。その後メールチェックなどして、さて在来線に乗り換えようとパソコンを閉じた瞬間に緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた。周りの人も「何だ何だ」という様子でスマホを取り出す。駅構内でも緊急放送が流れ、上からの落下物に注意するよう繰り返される。

地震発生直後、新幹線、在来線とも安全確認のためにいったん運転を見合わせた。広島駅構内では少しばかりざわつきがあったが、10分ほどで順次運転再開の放送が流れ、落ち着きを取り戻した様子である。

広島市内は震度2~3だったが、宮崎県南部で震度5以上、日南市では震度6弱を記録した。幸い津波もなく、亡くなった方もいなかったが、それでも負傷や家屋の損壊、店舗の陳列商品が散乱する被害はあった。やはり豪雨や地震・・・当番が回って来るかのごとく絶えずどこかで起こっているように思う。8月の当番は宮崎県です・・・とでもいうか。

そしてこの後発表されたのが「南海トラフ地震臨時情報」である(画像はウェザーニュースのホームページから)。これまでにも「いつか発生する」と言われていた南海トラフ地震。その名前が冠せられた情報ということで、1週間程度は地震に対する備えを行うようにと呼びかけられている。その対象は広く、瀬戸内の広島、岡山、香川、愛媛も含まれている。これを受けて1週間程度、東海道新幹線が一部区間で徐行運転を行うほか、在来線の特急も徐行運転、運休を行うという。寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も運休が決まり、お盆期間中に楽しみにしていた人たちも残念のようだ。

まあ、必要以上に恐れることはないにしても、改めて危険予知だな・・・。

・・・と思っていたら、9日の夜、今度は神奈川県で震度5弱の地震が発生。こちらは人の多いところでちょうど通勤帰りの時間帯。交通機関も運転見合わせとなり混乱が広がっているようだ。前日の日向灘に続き今度は関東ということで・・。9日の地震は南海トラフ地震との直接の関係はないとの発表だが、昨日の今日、はたしてどうなんだろうか・・。

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第84番「浄心院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(己斐の修練道場)

2024年08月07日 | 広島新四国八十八ヶ所

いよいよ終盤の広島新四国八十八ヶ所めぐり、第84番は廿日市から一気に宮島に向かうと思いきや、また西区に戻り、己斐上にある浄心院である。広島新四国の札所番号は諸事情で必ずしも地図順に並んでいないので、その都度改めて出かけることになる。7月28日のこと。

浄心院へのアクセスは西広島駅から己斐団地を経てジ・アウトレット広島、免許センター行きのバスだが、バスの本数は1時間に1本、また連日の猛暑である。近場だがクルマで行くことにしよう。

その己斐上への道だが、西広島駅の北の己斐橋から住宅地を抜ける上り坂が続く。道幅が狭いのだが住宅も多く、また己斐峠の向こうのジ・アウトレット広島をはじめとしたエリアへの近道ということでクルマがひっきりなしに行き交う。

ゴルフ練習場に向かう道と分かれ、浄心院の看板も見える。最後は住宅地の最も奥、突き当りに立派な本堂が現れる。

浄土院が開かれたのは1973年というから私と同い年である。不動明王の霊験を体し、弘法大師が唐から帰国する際に勧請した清瀧権現のご託宣により、醍醐寺から清瀧権現を勧請して衆生済度、修練道場として建立したとある。ちょうど己斐団地が開かれた時期とも重なる。いくら修練道場とはいっても、アクセスの手段がなければ修行に訪れる人もいないだろう。

外に人の姿は見えないが駐車場には何台かのクルマが停まっている。

扉の外に朱印の箱が出ている。これは扉が閉まっており、外からお参りするスタイルかなと思ったが、朱印の箱をごそごそやっているのに気づいたか、扉の中から寺の人が顔を出して、「本堂は中にあるのでどうぞお上がりください」と通される。

靴を脱ぐと2階に上がるよう言われる。そして向かうとちょうど広間では座卓を囲んで10人以上の方が座っている。ちょうどこの時は住職による法話というのか、訪ねた方の悩みを聞くというのか、そうした行事の最中だったようだ。そのままそこに居座って話に加わってもよいのかもしれないが、ここはあくまで一般の飛び込みのお参りということで、小声でお勤めだけして広間を後にする。

さてこの後だが、そのままクルマの定期点検のためにディーラーに向かい、点検終了後に帰宅。ちょうど大相撲名古屋場所の千秋楽だった。ドルフィンズアリーナでは最後の名古屋場所、横綱照ノ富士が隆の勝との決定戦を制して10回目の優勝を飾った。来年、名城公園内に新たに開業する「IGアリーナ」での最初のイベントが大相撲名古屋場所ということで、こちらにもまた訪ねてみたいものである・・・。

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