まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第26回中国四十九薬師めぐり~第47番「東源寺」(岩井温泉にて憩う・・)

2023年06月27日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは鳥取県の東の端、岩美町に入る。山陰ジオパークを構成する浦富海岸で知られる。この日(6月10日)の札所めぐりは第47番の東源寺で折り返して鳥取駅前に戻るので、帰りは海岸線をちょっと見物しようかとも思う。

国道9号線・鳥取バイパスから在来の国道9号線に入り、岩井温泉に向かう。1200年ほどの歴史を持つ山陰でも最古に属する温泉場である。カーナビは東源寺に近づくが、路地の突き当たりにある。手前に「ゆかむり温泉」の駐車場があり、ちょっとそこに停めさせてもらう。

境内に上がると、正面の愛宕山の下に戦没者の慰霊碑があり、左手に本堂がある。「本尊薬師如来」の札が掛けられている。

ここ東源寺だが、案内板に「岩井温泉の歴史と関わりを持つ寺である」と紹介されている。平安時代、左大臣藤原冬嗣の子孫に藤原冬久という人がいたが、家督を継ぐことのゴタゴタに嫌気がさして狂気のふりをして都を出てこの地にたどり着いたとも、幼い時から皮膚病を患って醜い容貌となったのをはかなんで放浪の旅に出たとも言われている。冬久はこの地で神女と出会い、神女が愛宕山の下で岩を掘ると温泉が湧き出て、それを浴びた冬久の病は全快した。冬久はこの恩に報いるために薬師如来を祀り、自身も都に戻らずこの地に湯治場を開いた。これが東源寺および岩井温泉の始まりだという。

これとは別に、慈覚大師円仁がこの地に立ち寄り、湯栄山如来寺と名付けたのが始まりということも書かれている。現在の東源寺という名前は、因幡の国の東端にあり、また第一番の温泉があることからつけられたそうだ。

境内はいたってシンプルである。本堂の扉が閉まっていたので外でお勤めとして、朱印は別かなと本堂とつながっている一段下の庫裏(というかご自宅)を訪ねる。

・・・しかし、インターフォンを鳴らすも応答がない。寺の駐車スペースにもクルマはなく、これは留守だろう。本堂のガラス扉越しに、書き置きの朱印が置かれている台も見えるのだが・・・。

待っていても仕方ないので、いったん寺を後にする。向かったのは岩井温泉の公衆浴場である「ゆかむり温泉」である。入浴料は380円と銭湯価格である(ただし、シャンプー・ボディソープは備えられていないので別払い)「ゆかむり」とは、頭に手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯を叩いては頭に湯をかむるという独特の風習だという。その時に唄われたのが「ゆかむり唄」で、岩井八景や芸能、忠臣蔵などのバージョンがある。

浴槽には何人かの先客がいたが、さすがに現在にあっては湯を叩いて「ゆかむり唄」をうなる人もおらず、マナー良くおとなしく入っている。源泉かけ流しの浴槽と、ちょっとぬるめの浴槽の二つがあり、その両方を楽しむ。先ほど入った吉岡温泉ほどではないが、源泉の温度は約49℃と、やはり熱めである。

それにしてもこの日は、最初に訪ねた第44番・宝泉寺は吉岡温泉、そしてここ第47番・東源寺派岩井温泉と、因幡の国で歴史ある温泉と寺の組み合わせに出会ったことである。いずれも大規模な温泉旅館やホテルがあるわけでもなく小ぢんまりしたところだが、のんびりするには適しているように見えた。

そしてこれを取り持つ薬師如来・・・。

湯上がりにしばし休憩室でゆっくりした後、もう一度東源寺の庫裏を訪ねる。しかしインターフォンを鳴らしてもやはり留守のようだ。幸い、翌日もう1日あるので、第48番・大樹寺を訪ねる前にもう一度東源寺に来ることにしよう。東源寺から大樹寺へのルートは結構ハードそうなのだが・・・。

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