まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第26回中国四十九薬師めぐり~第45番「座光寺」(都と因幡のお薬師さん)

2023年06月23日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第44番・宝泉寺を回り終え、吉岡温泉から山陰道で鳥取インターまで向かう。このまま乗り続けると鳥取道に入り、因美線、智頭急行にも沿う形で姫路方面に抜けることができる。

鳥取インターで下車して、国道29号線につながる連絡道を走り、国道に出る手前で側道に入る。田んぼのあぜ道のような細道をたどると空地と墓地に出る。ここが座光寺である。背後の丘の上にはゴルフ練習場が広がる。

座光寺が開かれたのは平安中期、摂関政治の頃とされる。因幡の国司として都から赴任した橘行平という人物が、当地で病にかかった時、夢枕で霊木があるとのお告げがあり、浜辺に行くと薬師如来が打ち上げられていた。これを因幡の菖蒲浦にお堂を建てて薬師如来を祀り、薬師寺と称した。

後に行平が任期を終えて都に戻る際、この薬師如来も持ち帰り、自らの屋敷にて祀ったという。これが後に平等寺、因幡堂という名前となって現在にいたる。一方、因幡の薬師寺には薬師如来の台座と光背が残ったので、座光寺という名前になったという。後に、因幡の行平の屋敷跡に寺を移して復興したそうだ。この辺りの経緯は諸説あるらしいが、いずれにしても因幡の国司を務めた橘行平という人を通じて都と因幡の接点となった寺院といえるだろう。

ただ現在は国道から少し離れたところに寺だけがポツンと建っているように見える。、こちらも扉が閉まっていたので外でのお勤めとする。朱印は先ほどの宝泉寺にあったのと同じ引き出しつきの箱が、雨除けのためテレビ台の中に収められており、そのまま書き置きをいただく。ここも、宝泉寺と同じく因幡薬師霊場の札所の一つのようだ。

山陰道無料区間も活用して、思ったより早く2ヶ所を回ることができた。状況によっては、先に遠い岩美町にある第47番・東源寺を押さえようかとも思っていたが、時間に余裕があるので札所順の通りに第46番・最勝院に向かうことにする。

最勝院は鳥取城跡がある久松山の西側にあり、現在地からだと鳥取中心部の西側をたどる。千代川を渡り、かつての城下町の町割りの中を進む・・・。

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