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憲法改正考(2)

2005年11月04日 21時22分02秒 | 国を憂う
午前中に(1)をUPしました。忘れないうちに、どうしても気になるので、夕方早速(2)をUPします。憲法の重さというか、普遍(不変)性というか、「憲法ってなに」を考えるとこの辺がつきまとうのです。
ある助教授が新聞に次の2点を解説、持論を書かれてます。
 ・普遍的なものだとするのは日本人の考えかたで、
 ・国会1/2で改憲を国民に問えるとした草案は喜ばしい。2/3としてる現憲法は厳しい。
と 言うのです。
僕は2/3くらいの厳しさがあっても当然じゃないかと思ってた。でも助教授曰く、欧米では1/2であって、国民も普遍的なものと考えるより、時勢に合わせて変えるもんだと考えてるのだそうです。
このあたりが「憲法って何?」を考える入り口じゃないですか。

それで今僕が考える憲法の定義は
 ・日本国が世界に対して「我国はこういう国です」を宣言する文章。
 ・だから国は世界に対して、国民に対して「こうあらねばならない」を定義する文章。
 ・よって国民は「こうあらねばならない」を定義する文章。
なのです。

これって普遍的なものなのではないでしょうか。世界情勢がどう変わっても、国を治めるイデオロギーが変わってもここの基本の基本は変わらないものなんじゃないのかな。だからといって改憲は永遠にないのかといわれれば、それは否定します。所詮その時代に生きた人間が作ったものだからです。新しい世界にあった表現という変更はあるんじゃないですか。日本国民としての「確固たる精神」は永遠だと思うのです。
法律とは世の中の変化に対応しながら、「憲法の精神」を堅持する文章であって、「ある条件化にある間は、国・国民はこうあらねばならない」と決めるものではないでしょうか。大事だなと思うのは「有期であって、条件が変われば廃棄し、新たに制定されるべき」ものだと思うんです。(ここが立法府の仕事ですね)
ここが憲法と法律の違いではないでしょうか。

「憲法とは、法律とは」について僕は自分なりの定義をしたと思います。ここを出発点にしてより細部を、提案された自民党草案を読もうと思います。

今回はここで止めるつもりでしたが、どうしても書きたいので。
憲法で「私達は武力をもって他国を侵害しません。」とうたうのは当然です。
では、「他国から侵害された時どうするか」もうたうべきではないでしょうか。
「やられたら、その相応分はやり返します」とするのか、「やり返しません。私達は裸で『やめてくれ』を唱えます」とするのか。
ここに憲法の大事さ、国民の覚悟が入るのではないでしょうか。
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