もう11年も経ったんですね。そこにあった「人の生活」が根こそぎ壊されていく状況をただ茫然として見てるだけだった記憶はまだまだつい昨日のように鮮明だ。
この時期だから「復興この11年」というようなドキュメントが多くなる。そんなのを見ながらいろいろ考える、総じて僕の評価は「費用対効果が釣り合わない、多額の無駄使い事業だった」なんです。 で、そのあたりをちょっと書いてみようかな。
あっそうだ、原発がらみの問題には触れないつもり。別次元で考えないといけないだろうから。
僕は復興事業が始まった時から 「将来そこに住む人達抜きに、為政者の価値観、社会観だけで、それを押し付けるように計画され、実施されてるな。 これは上手くいかんだろう。」の印象をもって見てきた。はたして今そういう結果になりつつあるのではないか。
かさ上げされ、より安全な土地は作られた。しかし「あそこに帰ろう」という人が少ないのだ。非難生活の中で、非難してた土地で新しいん基盤ができてしまい、今帰っても「また1から作り直しか?」と思う人が多いのは当然だ。200軒の住宅が建てられる空間に10軒の家がパラパラ建つのではその地域の自治が成立しない。自治が成立しない所に文化は生まれず、住む魅力が生まれてこないと僕は考えるのです。だから中長期的に町化していくのは難しいと見てます。そりゃジワジワと人が増えていく期待はゼロではない。しかし、今の少子化を考慮したら望み薄じゃないだろうか。もしそうなると「なんの為にこんな大金つぎ込んだの?」となりますよ。
あの当時、為政者は国民の反発を嫌い、本質論を抜きにして、「何か目に見える形を・・・・」に走ったんですよね。その結果、住民抜きの、いつもの「箱物事業」がどんどん進められた。
今の現実は大きな教訓を残してるんじゃないだろうか。そこに住み、昔の文化の一部を復活させ、住民自治を再構築し、社会を作り、運営していく「住民」の想いを抜きにしては「町の復興」はあり得ないということです。
復興事業を始める際にまず「どんな町にしたいか」「どんな町なら戻ってきたいか」を住民が考え、議論することが必要だったろう。常により多くの住民が参加してくる仕掛けも必要だったろう。議論の過程で必要なら専門家にも参加してもらうことも必要なはず。こういう議論を進めて行く中で、戻ってくる人、戻ってこない人もはっきりしてきただろう。そしてこれから作る町の、自治のイメージが出来上がった段階で行政が初めて参画し、詳細設計を始める。出来上がった「町復興案」に予算を付けて、一機に工事をやる。
形が見えてくるのはずっと遅くなったでしょうね。でも町らしいイメージができるのはもっと早かったんと違いますかね。人々が生活を始める前から町の文化が生まれつつあるというのがいいじゃないですか。結局あらゆる面でこういうやり方の方が良かったはず と僕は思うのです。
そうだ、こんな話を前に載せたな。 この記事の「2022.02.18」の朝刊の記事だった。
この時期だから「復興この11年」というようなドキュメントが多くなる。そんなのを見ながらいろいろ考える、総じて僕の評価は「費用対効果が釣り合わない、多額の無駄使い事業だった」なんです。 で、そのあたりをちょっと書いてみようかな。
あっそうだ、原発がらみの問題には触れないつもり。別次元で考えないといけないだろうから。
僕は復興事業が始まった時から 「将来そこに住む人達抜きに、為政者の価値観、社会観だけで、それを押し付けるように計画され、実施されてるな。 これは上手くいかんだろう。」の印象をもって見てきた。はたして今そういう結果になりつつあるのではないか。
かさ上げされ、より安全な土地は作られた。しかし「あそこに帰ろう」という人が少ないのだ。非難生活の中で、非難してた土地で新しいん基盤ができてしまい、今帰っても「また1から作り直しか?」と思う人が多いのは当然だ。200軒の住宅が建てられる空間に10軒の家がパラパラ建つのではその地域の自治が成立しない。自治が成立しない所に文化は生まれず、住む魅力が生まれてこないと僕は考えるのです。だから中長期的に町化していくのは難しいと見てます。そりゃジワジワと人が増えていく期待はゼロではない。しかし、今の少子化を考慮したら望み薄じゃないだろうか。もしそうなると「なんの為にこんな大金つぎ込んだの?」となりますよ。
あの当時、為政者は国民の反発を嫌い、本質論を抜きにして、「何か目に見える形を・・・・」に走ったんですよね。その結果、住民抜きの、いつもの「箱物事業」がどんどん進められた。
今の現実は大きな教訓を残してるんじゃないだろうか。そこに住み、昔の文化の一部を復活させ、住民自治を再構築し、社会を作り、運営していく「住民」の想いを抜きにしては「町の復興」はあり得ないということです。
復興事業を始める際にまず「どんな町にしたいか」「どんな町なら戻ってきたいか」を住民が考え、議論することが必要だったろう。常により多くの住民が参加してくる仕掛けも必要だったろう。議論の過程で必要なら専門家にも参加してもらうことも必要なはず。こういう議論を進めて行く中で、戻ってくる人、戻ってこない人もはっきりしてきただろう。そしてこれから作る町の、自治のイメージが出来上がった段階で行政が初めて参画し、詳細設計を始める。出来上がった「町復興案」に予算を付けて、一機に工事をやる。
形が見えてくるのはずっと遅くなったでしょうね。でも町らしいイメージができるのはもっと早かったんと違いますかね。人々が生活を始める前から町の文化が生まれつつあるというのがいいじゃないですか。結局あらゆる面でこういうやり方の方が良かったはず と僕は思うのです。
そうだ、こんな話を前に載せたな。 この記事の「2022.02.18」の朝刊の記事だった。