今朝ラジオに名古屋市立大学の鈴木さんという先生が出演されて、「PCR検査多くやればいい というものじゃない」との話をされてた。教えられることもあったので、自分なりのコロナ中間総括もと振り返ってみた。
先生の言わんとすることの要約
・なんの検査でも誤差を含んでるというのが原則。
・最も単純なのが、陰性を陽性と判定する誤差。(逆もあり)
・陽性でも感染能力の観点から「危険な陽性」「安全な陽性」の区別はできない。
・陽性者でも「発症する陽性」「発症しない陽性」の区別はできない。
ここまでは先生の基本で、「だからPCRについて」と続くのですが、
要は「検査数を増やすことはこの誤差も大きく含むことになり、危険な状態であるかのような数値が生まれる。それを報告するのは混乱を招くという点で推奨できない」とおっしゃる。
個人的に検査を受けられるような環境も整ってきているが、それはあくまでも個人が安心感を得る手段として行うのであって、統計に入れない方がいい。これまで続けてきた感染者数統計には従来通り「検査要」と判断された人の分だけを算入すべき とおしゃってたような。
誤差の要因として上のように言われると、「正しく怖がれ」という「よりどころ」は何なんでしょうかね。研究者の中では徐々に新型コロナの実態が解明されてきてるんだろうけど、薬、ワクチンがない状況では
・そこに「危険なウィルス」がいると思って
・感染しない、感染させない 行動を続ける
結局この結論しか出てこない僕です。
そう考えると、コロナ発生以降国がとってきた施策の基本「安全と経済のバランス」も根底のところでは正しかったんだと振り返ってもいる。細かい部分でいったらああだ、こうだはあるけど、「そこがこの問題の肝」と最初からつかんでたとみると、さすがだなとの思いもある。
先生の言わんとすることの要約
・なんの検査でも誤差を含んでるというのが原則。
・最も単純なのが、陰性を陽性と判定する誤差。(逆もあり)
・陽性でも感染能力の観点から「危険な陽性」「安全な陽性」の区別はできない。
・陽性者でも「発症する陽性」「発症しない陽性」の区別はできない。
ここまでは先生の基本で、「だからPCRについて」と続くのですが、
要は「検査数を増やすことはこの誤差も大きく含むことになり、危険な状態であるかのような数値が生まれる。それを報告するのは混乱を招くという点で推奨できない」とおっしゃる。
個人的に検査を受けられるような環境も整ってきているが、それはあくまでも個人が安心感を得る手段として行うのであって、統計に入れない方がいい。これまで続けてきた感染者数統計には従来通り「検査要」と判断された人の分だけを算入すべき とおしゃってたような。
誤差の要因として上のように言われると、「正しく怖がれ」という「よりどころ」は何なんでしょうかね。研究者の中では徐々に新型コロナの実態が解明されてきてるんだろうけど、薬、ワクチンがない状況では
・そこに「危険なウィルス」がいると思って
・感染しない、感染させない 行動を続ける
結局この結論しか出てこない僕です。
そう考えると、コロナ発生以降国がとってきた施策の基本「安全と経済のバランス」も根底のところでは正しかったんだと振り返ってもいる。細かい部分でいったらああだ、こうだはあるけど、「そこがこの問題の肝」と最初からつかんでたとみると、さすがだなとの思いもある。