白人警官による必要以上の拘束で黒人男性が死んだ。間違いなく米国内にはいまだに「人種差別」があるのだと思う。それはそれで問題だし、自分をも振り返りながら考えないといけない。
でもここで書きたいのは「人種差別」ではなく、今世界中で過去のモニュメントを破壊する行動が起きてる そのことについてだ。
今破壊対象になってるのは過去のある時期「奴隷制度を認めた上で(明確に否定しなかった もあるだろう)、社会統治を行った政治家」のものだ。
僕は「それを破壊したからと言って、何が変わるの?」と問いたい。一時の熱で破壊する、どれだけ意味があるの? モニュメントをなくしても、そういう事実が自分たちの歴史から消えるわけではない。それは全て過去の事、今更どうしようもないこと、「そうだった事実」は認めなければしょうがないこと と思うのです。むしろ「歴史の1頁」のはずです。 変えることができるのは、変えなければいけないのは「今であり、未来」でしかないはず。昔を否定しても何も生まれない。人間の醜い「キズ」、気の迷いから破壊したという事実が残るだけ。
「歴史上の事実」って見方は人それぞれのはず。上野の「西郷さん」 鹿児島人には英雄だろうが、福島人には鬼かもしれない。「その人の像が置かれていること」 それは「その人への賞賛」と捉えるのは実は一方的な捉え方なんじゃないだろうか。そう考えれば「モニュメントは単に歴史上の事実の代弁者」、それを見て後世の人が昔を知り、何かを学ぶきっかけ、材料でしかないはず。むしろ、すでに存在してるのであれば「貴重な財産」だと思うのです。
破壊はほんとに無駄の行為だと思います。「人種差別反対」の運動の一瞬の「象徴」「花火」でしかないはず。もったいないことだと僕は考えます。
もう一つ大きな視点で考察すと、破壊行為をやってる人は今流の「白黒はっきりつけたがる」「己にとって善か悪しかない」「他を認めない」「寛容の精神なんて全く無い」こういう風潮の中に自分が飲み込まれてることに気づかないと。それではトランプさんと同じ人種じゃないか。
でもここで書きたいのは「人種差別」ではなく、今世界中で過去のモニュメントを破壊する行動が起きてる そのことについてだ。
今破壊対象になってるのは過去のある時期「奴隷制度を認めた上で(明確に否定しなかった もあるだろう)、社会統治を行った政治家」のものだ。
僕は「それを破壊したからと言って、何が変わるの?」と問いたい。一時の熱で破壊する、どれだけ意味があるの? モニュメントをなくしても、そういう事実が自分たちの歴史から消えるわけではない。それは全て過去の事、今更どうしようもないこと、「そうだった事実」は認めなければしょうがないこと と思うのです。むしろ「歴史の1頁」のはずです。 変えることができるのは、変えなければいけないのは「今であり、未来」でしかないはず。昔を否定しても何も生まれない。人間の醜い「キズ」、気の迷いから破壊したという事実が残るだけ。
「歴史上の事実」って見方は人それぞれのはず。上野の「西郷さん」 鹿児島人には英雄だろうが、福島人には鬼かもしれない。「その人の像が置かれていること」 それは「その人への賞賛」と捉えるのは実は一方的な捉え方なんじゃないだろうか。そう考えれば「モニュメントは単に歴史上の事実の代弁者」、それを見て後世の人が昔を知り、何かを学ぶきっかけ、材料でしかないはず。むしろ、すでに存在してるのであれば「貴重な財産」だと思うのです。
破壊はほんとに無駄の行為だと思います。「人種差別反対」の運動の一瞬の「象徴」「花火」でしかないはず。もったいないことだと僕は考えます。
もう一つ大きな視点で考察すと、破壊行為をやってる人は今流の「白黒はっきりつけたがる」「己にとって善か悪しかない」「他を認めない」「寛容の精神なんて全く無い」こういう風潮の中に自分が飲み込まれてることに気づかないと。それではトランプさんと同じ人種じゃないか。