白州での木曜日、恒例の天野画廊での個展鑑賞に行った。今月は天野さん御自身の個展だった。天野さんは美術大学終わってすぐメキシコに留学され、3年間あっちで絵を勉強した経験がある。余談なんですが、氏はこの3年間で空手の師範としてかの地に空手を根付かせた経歴もある。
その空手の関係もあって、この春1か月近くメキシコに40数年ぶりに行ってこられた。
そういうこともあり、またご本人も「僕の原点はメキシコの風景」とおっしゃるほどで、今回の個展のテーマは「メキシコ」だったようだ。また新しい作風を見せてもらった。
ウィークデイの小淵沢の画廊ではほとんど客はいない。いつもお茶を御馳走になりながら小一時間とりとめも無い話をするのが常だ。
今僕は描くのを辞めてる。描きたい、描いてみようという力が薄くなってるのは解ってる。描きたくなるのを待ってるのだ。そんな心境を話し、「氏の作品を見ると、簡単そうなので描いてみようという気になるんですよ」なって失礼な話もした。
そこに若い女性の客が1人入ってこられた。勝手知ったる常連さんという感じ。天野さんから紹介された。「作家の末永理恵さん。作品知ってるよね。」 知ってるなんてものじゃない。この画廊で知った作家さんの中で好きな3人の中の1人。僕が関心を持ってることは天野さんも知ってて、こんな紹介をされた。彼女は油彩で細かい点描を重ね、独特の世界を生み出してる。好きなんです。「こんな若い女性がこんな世界を」ということも興味をそそる。
客が末永さんと解って、ちょっと興奮。「貴女のような点を描きたいんだが、どうやっても汚くなる。どうやったらあんな綺麗な点になるんだい?」 ほんとは聞いちゃいけない領域なのかもだが、こっちは興奮してる。それなりに返事はくれたけど、「そんなもんかな?」結局やってみて努力を重ねるしかないと突き放されてる感。これはしょうがないよね。
「個展をやることがあったら教えてほしい。必ず観に行くから。」と伝えて、解れた。
好きな作家さんに会えて、絵のテクニックの話までしちゃった。そこで僕はこう思ったのです。
「描けということだな」と。
家に帰りついて、仕掛中で辞めてる絵を見直してみる。汚い点の集合体だ。やる気が薄れる。
その空手の関係もあって、この春1か月近くメキシコに40数年ぶりに行ってこられた。
そういうこともあり、またご本人も「僕の原点はメキシコの風景」とおっしゃるほどで、今回の個展のテーマは「メキシコ」だったようだ。また新しい作風を見せてもらった。
ウィークデイの小淵沢の画廊ではほとんど客はいない。いつもお茶を御馳走になりながら小一時間とりとめも無い話をするのが常だ。
今僕は描くのを辞めてる。描きたい、描いてみようという力が薄くなってるのは解ってる。描きたくなるのを待ってるのだ。そんな心境を話し、「氏の作品を見ると、簡単そうなので描いてみようという気になるんですよ」なって失礼な話もした。
そこに若い女性の客が1人入ってこられた。勝手知ったる常連さんという感じ。天野さんから紹介された。「作家の末永理恵さん。作品知ってるよね。」 知ってるなんてものじゃない。この画廊で知った作家さんの中で好きな3人の中の1人。僕が関心を持ってることは天野さんも知ってて、こんな紹介をされた。彼女は油彩で細かい点描を重ね、独特の世界を生み出してる。好きなんです。「こんな若い女性がこんな世界を」ということも興味をそそる。
客が末永さんと解って、ちょっと興奮。「貴女のような点を描きたいんだが、どうやっても汚くなる。どうやったらあんな綺麗な点になるんだい?」 ほんとは聞いちゃいけない領域なのかもだが、こっちは興奮してる。それなりに返事はくれたけど、「そんなもんかな?」結局やってみて努力を重ねるしかないと突き放されてる感。これはしょうがないよね。
「個展をやることがあったら教えてほしい。必ず観に行くから。」と伝えて、解れた。
好きな作家さんに会えて、絵のテクニックの話までしちゃった。そこで僕はこう思ったのです。
「描けということだな」と。
家に帰りついて、仕掛中で辞めてる絵を見直してみる。汚い点の集合体だ。やる気が薄れる。