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もの凄く哲学的な話

2016年06月12日 20時14分28秒 | 国を憂う
人間社会がいい方向に向かい続けるための必要条件は
  社会を構成する全ての人が
   『 社会には多用な価値観があることを認め、互いに尊重する 』 これだと常々思ってる。
ところが最近の社会現象はここが崩れてるとしか思えない事が多い。
それは人間社会がもの凄く危険な状態に向かってるんじゃないかとの不安を大きくさせる。

・ポピュリズムの旺盛化、ヘイトスピーチ問題
・米国のトランプさん 日本の安倍さん (ドイツにも出現したらしい)
・沖縄と本土の関係、ISと国際社会の関係、パレスティナの問題
・特別秘密法、安保法、憲法改正草案の位置づけ
・原発事故を「アンダーコントロール」と言い切る強さ
・「丁寧な説明をやってく」と言ってなにもやらない傲慢さ
・次世代、次々世代の富の先食い(借金財政)
・非正規を「新しい働き方」という行政
・公海に軍事基地をつくる行い
・「これしかない」と決めつける政治手法
・ことさら「危機、危険」を強調して庶民をコントロールしようとする手法

・日本 タレント活動をしてた女子大生を刺したファン  米国 歌手の女性を銃殺したファン
・子供の虐待、車の暴走、無差別殺人、
・今晩雨が降るというのに紙資源を集積所(明日回収)に出す住民
・爆買い
・舛添さんの問題

個人的道徳感の欠如に類することもあげてるかな。でも根っこはいっしょだと思う。結局「自己中」ってやつ。「自分さえよければ・・・・」が他の価値観の排斥を生んでる。見えないのか、見て見ぬふりなのか?
こういう社会現象が一定量で留まってるなら「しょうがない、我慢しよう」ともなるのだが、ここ数年社会現象として多くなってるように思う。
どこまで行くの? どこかで止まるの? 人間は止められるの? どうしたら止められるの?

「互いに尊重」とは多い方が少ない方に納得してもらうための血を吐くような説得努力と少ない方が「今は納得して譲る」ことと考えてる。その結果は間違いなく「前進」だと思うのだが。
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16歳の勇気

2016年06月12日 07時14分13秒 | オペラに挑戦
オペラのソリストオーディションを手伝ってきた。手伝う目的はプロ、セミプロの歌声を生で聞ける楽しみ。仕事は審査会場の設営と、受けに来られた方を時間に召集し、控え室から会場に案内、会場への入りを案内すこと。たいした仕事じゃない。
残念だったのは審査で歌われた曲が日本の歌曲だったこと。今回のオペラが日本語の新作物ということなのでこうなったのだろう。僕としては興味半減。イタリア語でいいアリアが聞けると思ってお手伝いに行ったのに。

受けに来られる方は当然プロ、セミプロ。年齢も平均30歳前後。人によっては衣装を持参される方もいらっしゃるようなオーディション。そんな中「えっ、彼女まさか受けに来た人?」と思うしかない少女がいて驚いた。街歩いてる普通の少女なんです。化粧っ気はなく、靴もスニーカーですよ。どうみても高校生。
審査前にちょっと話ができた。16歳、高校で合唱部に所属していて、ピアノ伴奏と歌を楽しんでるんだそうだ。「緊張してるんだろうな、リラックスできれば」と思って柔らかい話題を向けた。ところが、さほど緊張してないようなんです。これには驚いたね。堂々としてるっていうのとも違う。「やってみたいんだもん、当たって砕けろでしょう」とこっちが教えられてる感じ。
「楽しんできて」と審査室に案内してあげた。外で聞いてて僕でも「上手じゃないな」は解る。しょうがないよ、正式に勉強してる人の中で歌えば比較できちゃうから。でもはつらつと歌ってる。媚びてもいない。「これが私よ」が伝わってくる。「いい子だな。チャンスあげたいな。いいな、16歳って」
歌い終わった後の審査員との質疑が長かった。興味を持ったんじゃないかな。ソリストは無理でも準ソリスト、子役でもいいじゃないか、下手を可愛く聞かせる能力はありそう。こういう子は伸ばしてあげたいな。
思わぬ楽しさにめぐりあったお手伝いだった。
コメント (2)
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