数日前に書いた「もの凄く哲学的な話」の続きかな。
人類は「知」を持ったが為に結果的に「生きずらい社会を作るしかなく」「己の首を絞める社会作りを続けることになった」んではないかと考え続けてる。
うちの庭に柚の木があって昨年は200個近い収穫があり、柚ジャムに化けた。今年はそんなに実を付けないだろうと思ってたら昨年以上に花が咲いた。「これは昨年以上」と思ってたらここにきて木の下に小さい実がたくさん落ちてる。それでも成長を続けてる実は昨年以上の量だと思う。
さてさて自然は「理」で生存してる。「知」なんてない。ただただ「理」のままに己を守ってる。まさに「自然」なのだ。生きるために己自らも犠牲にしてる。「謙虚」というのか。
人間は同じ生物なのに「知」を持った。持ったがために「より良く✖✖したい」と「欲」を持った。「欲と欲の接点を調整するために「律」を作ることが必要になった。「欲」は限りないから「律」のまわりにさらに「律」を作ることに。欲と欲の接点では「利害関係」が生まれ、「排他」が生まれる。「律」が普通の生活に「規制」となって作用する領域にまで達っする。こうして生きづらくしてきたんじゃないかな? 一方欲実現のために「律」の抜け穴を探すため、または「律」に抜け穴を作っておくために「知」を用いるやからも出現してきた。
「欲」と「律」のいたちごっこ。これが現代じゃないのかな。とするとやはり「止まらず、滅亡へ」が残された道なのかもしれない。
人類は「知」を持ったが為に結果的に「生きずらい社会を作るしかなく」「己の首を絞める社会作りを続けることになった」んではないかと考え続けてる。
うちの庭に柚の木があって昨年は200個近い収穫があり、柚ジャムに化けた。今年はそんなに実を付けないだろうと思ってたら昨年以上に花が咲いた。「これは昨年以上」と思ってたらここにきて木の下に小さい実がたくさん落ちてる。それでも成長を続けてる実は昨年以上の量だと思う。
さてさて自然は「理」で生存してる。「知」なんてない。ただただ「理」のままに己を守ってる。まさに「自然」なのだ。生きるために己自らも犠牲にしてる。「謙虚」というのか。
人間は同じ生物なのに「知」を持った。持ったがために「より良く✖✖したい」と「欲」を持った。「欲と欲の接点を調整するために「律」を作ることが必要になった。「欲」は限りないから「律」のまわりにさらに「律」を作ることに。欲と欲の接点では「利害関係」が生まれ、「排他」が生まれる。「律」が普通の生活に「規制」となって作用する領域にまで達っする。こうして生きづらくしてきたんじゃないかな? 一方欲実現のために「律」の抜け穴を探すため、または「律」に抜け穴を作っておくために「知」を用いるやからも出現してきた。
「欲」と「律」のいたちごっこ。これが現代じゃないのかな。とするとやはり「止まらず、滅亡へ」が残された道なのかもしれない。