父は大正4年生まれの94歳。人生の終焉が近づいている。
3年前に伴侶(僕の母)を亡くして弱くなった。それでも実家(僕のマンションの目の前)で1人生活を続けてきた。食事は僕の妻が作って持って行ってる。10年ほど前から歩くことはおっくうになってきてたが、最近まで自転車に乗って買い物に行ったり、碁会に行ったりしてた。どこに行っても「自分が一番年上だ」と自慢もしてた。薬もいっさい服用していなかった。怪物だねと周りも見てた。
昨年9月の定期健康診断で肺がんが見つかった。微妙なバランスで体調を維持してるだろう体には大きなショックだ。ガタガタと崩れていくだろうと予測した。抗がん治療はしない、在宅で緩和ケアをやっていくと決めた。
そのための環境作りもやってきた。近所の開業医院に全面的協力をお願いし、了解をいただいた。ヘルパーさん(室内掃除が主)、訪問看護、さらに来月からはデイサービスと週1回夕食を作ってもらうヘルパーさんも追加した。医者と看護士と地域の介護サービスをうまく連携させた介護体制もできた。
でも在宅で終焉を迎えさせると決めた以上、主たる介護者は身内の者だ。今まで妻が1人でやってくれてた。しかし父の体調もだいぶ弱ってきた。寝てることが多くなり、いずれ寝たきりになるだろうことが見えてきた。そろそろ妻1人では限界のようだ。
自分の父を妻にまかせてわがままを通すほどおろかではない。僕が父に付き添って物理的介護ができるかはわからないが、父にとっても妻にとっても近くにいることだけでも大きな援助になるだろう。
白州での仕事を辞め、全てが終わるまで神奈川で生活すると決めた。
3年前に伴侶(僕の母)を亡くして弱くなった。それでも実家(僕のマンションの目の前)で1人生活を続けてきた。食事は僕の妻が作って持って行ってる。10年ほど前から歩くことはおっくうになってきてたが、最近まで自転車に乗って買い物に行ったり、碁会に行ったりしてた。どこに行っても「自分が一番年上だ」と自慢もしてた。薬もいっさい服用していなかった。怪物だねと周りも見てた。
昨年9月の定期健康診断で肺がんが見つかった。微妙なバランスで体調を維持してるだろう体には大きなショックだ。ガタガタと崩れていくだろうと予測した。抗がん治療はしない、在宅で緩和ケアをやっていくと決めた。
そのための環境作りもやってきた。近所の開業医院に全面的協力をお願いし、了解をいただいた。ヘルパーさん(室内掃除が主)、訪問看護、さらに来月からはデイサービスと週1回夕食を作ってもらうヘルパーさんも追加した。医者と看護士と地域の介護サービスをうまく連携させた介護体制もできた。
でも在宅で終焉を迎えさせると決めた以上、主たる介護者は身内の者だ。今まで妻が1人でやってくれてた。しかし父の体調もだいぶ弱ってきた。寝てることが多くなり、いずれ寝たきりになるだろうことが見えてきた。そろそろ妻1人では限界のようだ。
自分の父を妻にまかせてわがままを通すほどおろかではない。僕が父に付き添って物理的介護ができるかはわからないが、父にとっても妻にとっても近くにいることだけでも大きな援助になるだろう。
白州での仕事を辞め、全てが終わるまで神奈川で生活すると決めた。