カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

負荷で選択する

2007-02-17 | 雑記

 仕事の選択に困る。片付かないことにはどうにもならないが、どれを優先するか。やりたいことは特にない。どちらの負荷が重たいか。軽いほうを選択している気がする。重いものは後回し。それでだんだん気も重くなるのかもしれない。そういうふうに気がついた。だからといって重いものを先に選択すべきか。やはり緊迫したものがないと手がつけられない。そんな感じもする。〆切がいつだというのは、そういう意味では励みになる。強制力が強いと、やらざるをえない。仕事の優先順位は、やはり期限をどこに持ってくるかということなのであろう。ルーティンで弾みをつける。つまらないが、結局はそういう繰り返しこそ力になっているようにも思う。逃げるとどんどん逃げたくなる。どっぷりつかることとメリハリと集中力で少しづつでも片付けてしまおう。

 午後から会議に出る。
 いろいろこちらもやることがある。〆切りは過ぎているのかもしれない。そういう議案も多い。ちょっと重たいな、とも思う。片付けるにはテコが必要なのではないか。自分のところもよそのところも、ものすごく準備が足りない。それはそうだが、準備をしても片付くものなのか、そういう気がしないではない。そもそも可能な範囲なのか。現実はもう少しシビアに質感が重い気がする。まともに首を突っ込むと、別の次元の混沌に突入してしまいそうだ。
 ちょっと遊びの部分では面白い意見が出る。しかし、アイデアとしては面白いのかもしれないが、現実としてはやはり問題があるとは思う。選択が無理なことを考えている。選考する方法として何が適当なのか。僕には不条理でいいという頭があるが、他の人が納得するものであるか。意見は差し伸べない。

 まったく別のものをどうつなげるか。それは話のつながりが原初的なところまで戻って考えるべきだろう。疑問に思えないところまで戻ってみる。掃除機と箒は違うものだが、掃除をする道具だ。鉛筆とハサミは用途が違うが、同じ事務用品だ。猫と犬だって同じ哺乳動物だ。そういうところまで還元してみて、話をそろえる必要がある。何の話だっけ。
 少なくとも犬好きと猫好きは人種が違うと考えている人とは話が合わせられない。そういう分類は僕にとっては無意味だと思う。犬好きだから権威的だとか、猫好きだから自由人ということはありえない。そういうものだと納得できる人はお人よしである。人にも騙されやすいのではないか。よく考えなくてもわかることだが、基本的には何の関連もないことだ。自分がそうであるという事実を普遍化することは大変に危険である。無理につなげるのではなく、原理的に共感を得る。確かにそれは大変に難しいものだ。そこのところの疑問に、僕の感覚のズレがあるのかもしれないが…。
コメント
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