カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ツケを払わされる(完済は遠い)

2007-02-14 | 雑記
 印鑑証明が必要だということで法務局佐世保支局に赴く。
 ついでに放置してあった登記記述削除という懸案事項の相談にも行く。事前に電話でも相談をしており、行く前に単純なやり方を聞きたかったのだが、ごちゃごちゃ電話口で煩わしいことをいうくせに、質問すると上司と相談するためなのか電話口で長時間待たせる。しまいには窓口まで来いという。そこでついうっかり印鑑証明も必要だというと、鬼の首を取ったように、それなら最初からそれをいってくれという態度に変わって、一切説明を止めてしまった。ついでがあるから相談しているのはこちらのほうで、手間がかかることには何のかわりもない。煩わしいので司法書士のような専門の人に頼んだ方がいいのでしょうか、とお尋ねすると、個人にできないことではないでしょう、などと馬鹿にしたようにいうのである。これは出向くより仕方があるまい。
 そういうわけで車で往復二時間の道のりを行く。
 ついでの相談だったのだが、先に相談している人があるらしく、長時間なんのアナウンスがないままに待たされる。やっと順番がまわってくると、担当のじいさんは、ひどくぞんざいな態度である。最近の窓口の人はあんがい態度がよくなっている傾向にあったが、ちょっとたじろぐ横柄さだ。
 いろいろ書類を引っ張り出したり、他の人と相談するために僕を待たせて中座したりする。そうやって時間をかけて分かったことは、やたらと手続きが煩雑な上、なんども足しげく通う必要があるということだ。できるだけ早く済ませたいので、だいたいの手順を再度確認したいというと、まずやるべきことをひとつひとつやって、そのあとで、できるかどうか教えてやると諭される。
 途中途中で、やるべきことをちゃんと早くにやっていなかったからだ、としきりに怒られたが、手続きに必要な懸案事項は、早く片付けていたから済んだ問題では根本的に違うものであったのだから、まったく不当なことである。もともと煩雑なことをしなくてはならないことには何のかわりも無いのである。遅いという落ち度に付け込んで、あんたが小言を言うのは筋違いなのである。こちらはあんたとは違うあんたらの仲間からやらされてやっているのである。あんたらの仲間が怒るので仕方なくやっているが、こんな記述が残っていようと逆に放置していても誰も困らないぐらいにはどうでもいいことであったということなのであって、あんた達の遊びに付き合ってやっている人間にはもう少し大切に扱ってやるぐらいの心掛けを持つべきなのではないか。
 そういう具合には頭には来たが、多少は僕のために働くそぶりをしていることには敬意を持って接するほどには僕は大人なので黙っていた。誰もほめてくれないが、そういう僕は随分えらくなったものだと感心する。
 登記の記述削除については、県の監査で指摘を受けたので削除しなくてはということである。登記記述事項を気にするのは役場である。そのために手続きをすることは、さらに役場の要求が強くなる。本当にバカにアホを付けたくなるような煩わしさだ。
 基本的にこういう仕事は住民サービスであろう。印鑑証明が必要なのも、役場に提出する書類に必要だからである。人の仕事を増やすことが住民サービスであるという勘違いを長年にわたって積み重ねてきたことに、根本的には気づいていない体質がさらに仕事を増やしていく。書類をカードで引き出せるサービスであっても、元はといえば自分らの業務の省略化が目的のようだし、彼らは何のために存在しているのかということを改めて考えるべきなのではないだろうか。専門的な知識を蓄積して住民の安全を守っているのであれば、各人の家庭に赴いて必要なサービスを完成させる努力をするべきだと思う。現実的に無理だというのなら、可能な方法を考えることが必要だ。ひとつの書類を取りにいくのにも半日の時間を要求し、相談といって人を恫喝し、更なる負担を要求するのであるから、ヤクザよりもたちが悪いと思う。また監査で指摘されることは分かっているけれど、この問題はもう止めようかな、という気分になった。人生のムダとはこういう時間だと思う。人間が理屈を考えると碌な事をしない。
 僕にも役人の友人がいるので分かることだが、役人個人の問題なのではない。彼らは別段悪意に満ちた人たちの集団なのではない。むしろちゃんと勤めていることでも分かる通り、まともな人たちである可能性のほうが高い。であるから、こういう役場仕事は、この組織の成り立ちに問題があることは明白である。役場仕事の正当性を守るために仕事をつくっているのである。基本的に無いと困る仕事をしているはずであったのに、あるために人々困らせている。もともと要求していた方は、目に見えない住民の側だろう。わけが分からない困りごとを行政に任せたツケを、めぐりめぐって必要な(と恫喝された)人が払わされているのであろう。
 あくまで僕の考えるイメージの範疇の話ではあるけれど、年貢を取り立ててやる仕事は、人を苦しめるサービスでなくてはならないのかもしれない。もちろんこういう事情は日本だけのことではあるまい。比較的にましな国(僕は中国を知っているので、確かにこれでも奇跡的によく働く役人の国なのであることは証言できる)でもこれなのだから、よその国では推して量るべしである。そう考えて、自分を慰めるより仕方が無い。行政とは人間のエゴの象徴なのだなあ、とつくづく思うのであった。
コメント
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