憲法で軍隊を持たないとうたっておきながら自衛隊があるのは、明らかな憲法違反である。しかしながらそれを認めない議論があるのは不思議だと常々考えていた。もちろん地政学ということから考えて軍隊がいらないとは思えない。軍隊がなくても誰も攻めてこないというのはたぶん幻想で、ちゃんと鎮圧されることだろう。もしくは攻めてこられなくとも、外交という点では、まったく話にならないぐらい不利になるだろう。軍隊は国際的なルールにのっとった政治(皮肉だが、話し合いの)の手段なのである。
ではやはり憲法がおかしいということにはなるのだが、どうして軍隊を持たないなどと書いたのかといえば、たぶん先の戦争に対する反省表明というか、表向きに嘘をいいたかったのだと思う。日本も思い切ったことをしたもんだと、たぶん他の国はびっくりしたことと思うが、自衛隊が世界的に強大な軍事力(少なくとも10本の指には入るだろう)を持っている現実に、なーんだ、日本人ってやっぱり嘘つきだな、と思っているに違いない。他国の人の日本人の特徴として必ず挙げる裏と表の分からなさと嘘つきだという印象は、すべて軍事のことではないが、象徴として自衛隊のことを指しているのは確実だと思う。
コスタリカみたいに実際に憲法にうたって軍隊のない国だってある。よくは知らないが、恐らく平和憲法というは、日本だけがうたっている美点ではなかろう。特に憲法のようなその国の法律のもとになっているものを守っていない国というのは、本当に珍しい国ではないだろうか。
しかしながら、ルールの厳密性ということについては、やはり誤解があるのだろうとも、最近は思うようになった。例えば交通ルールでの制限速度というのは、たぶん誰も守らないにもかかわらず、存在する。むしろ守っている車は大変に迷惑である。では現実に即して制限速度をもっと高くするべき(もしくは、厳密に守るようにすべきか)かといえば、それでは上手くいかないことは容易に理解できる。これはたぶん上限を甘くすると、その分もっと危険水準を越えて違反する人が増えるのである。日本では原則自由という考え方がよく分からない人が多くて、決まりがなければどんどん悪いことをしてもかまわないという考え方をする人が多いように思う(もしくは心配しすぎる)。自由というのは個人が判断しなければならない領域なので、上限がなくなるという意味ではないのである。まあ、脱線するのでまたの機会にするが、実際に速度違反は10キロオーバーぐらい(15キロという説もあるが)では捕まえない、という暗黙ルールが明文化されないが存在することになる。これは世間のない他国の人には、たぶんわからないルールだろう。
日本人は憲法での軍隊問題も、平和をうたっているのだから(侵略ではないのだから)上限違反ではないという感覚があるのではないか。多くの人は日本のちっぽけな軍事力では世界の脅威ではないという大きな誤解をしているのも、そこのあたりの情報操作にありそうな気がする。僕は世の中には陰謀というのはありえない(もしくはそう簡単に成功しない)と思っているが、こと日本国民に関しては、こういう勘違いを国民的合意としてしまう恐れはあると考えている。明確にルール違反をしているのに、範囲としては許されると思ってしまうわけだ。それに合わせて、現実の方を直視しない。また、捻じ曲げて解釈してしまう。相手が納得できないことも理解できない。
たとえアメリカであっても、侵略のために軍隊を持っているわけではない。あくまで自国防衛のために軍隊を持っているである。イランや北朝鮮だって、基本的にはそういう考えであろう。
日本は歴史的に(同情できるにせよ)自分の都合でよその国まで出向いてしまった。もちろん日本だけがそういう考えだったわけではないが、それは事実である。その上で明らかに敗戦を喫した。勝てば悪くなかったが、負けたので悪かったということが確定したのである。歴史というのはそんなものである。正義とか正しいということは何の関係もない。だいぶ時間がたったようだが、記憶というのは関係ないという判断までたどり着いていなのかもしれない。日本の立場がむつかしいのはその所為であろう。結局煩わしくなって問題が放って置かれるのは、やっぱりその所為なんだろうな、と段々理解できるようになってきた。僕もおかしな国の仲間入りをしだしたのかもしれない。