カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

金縛りと読書道

2007-02-01 | 雑記

 晩飯には普通に焼酎を飲んでいたのだが、体調が不味いのでなんとなく進まない。無理をすることはないのであまりのまないでいたら、段々と酔いが醒めてしまった。読書をしながら(喉だけは渇く)お茶を飲み、そのまま寝ることにした。
 僕はある程度はアル中なんだと思う。こういう夜は酔っていないので寝付けない。考えないようにしながら、ボーっとしていると、手や肩に嫌な感じが走った。久しぶりの金縛りである。初期段階に解くことができて難を逃れたが、上体を起こして深呼吸して寝直しである。
 仕事で泊まりのときは酒を飲まないのでよく金縛りに悩まされた。体が疲れているのに意識が割合はっきりしていると金縛りに会うようである。残念ながら(いや、幸いか)
 たぶん霊的なものではない。今日はやばいな、と意識的だと注意しながら寝るので何とかなるが、忘れているとやられてしまう。完全にサイクルにはまると、朝までたまらない夜になる。翌日もつらいので、そういう日が続く可能性も高くなる。こうなると本当につらい毎日だ。
 金縛りというのは個人差もあることだろうが、僕の場合は体が動かなくなるだけではない。激しい幻聴があって、むしろこれがつらい。だから精神病の人が幻聴に悩まされるのには共感がある。こういうものが日常にあると、かなりつらいものだろう。僕の知り合いの分裂病(統合失調症ですね、今は。ああ、煩わしい)の人は、幻聴に出てくる人と激しく喧嘩しているけれど、頭に来る気持ちはよく分かる。頭の中で勝手にいらぬことを言わないで欲しいものである。仲良くやってくれると、時々出てきても嫌われないだろうに…。
 しかしながら僕の場合の幻聴は、夢との境でそういう状態になるのであろうと勝手に分析している。以前は「殺してやる」というような物騒なものが多かったけれど、今は幻聴も穏やかになり、単なるうめき声だったりラジオのアナウンスのようなものだったりする。変ったところでは、アメリカンフットボールの中継放送のときがあった。もちろん楽しんで聞ける状態でないから、面白くもクソも感じないのだが…。
 また飲み直すか少し布団の中で迷ったが、そのままがんばってみようと思った。飲まない日を多くして、読書の時間が増えるといいかもなあ、と考えていた。最近また忙しくなって、物理的な移動が増えて、本を読めない。金縛りもつらいが、これもつらい。気になることは山ほどあるのに、調べられない。娯楽の本(基本的に読書は娯楽だが)だって時には読みたい。
 人の一生は短いものだなあ、とつくづく思う。たぶん僕の一生では、ちっとも足りそうにない。そうであるのに、別にやることはたくさんある。
 もちろん体力が落ちると読書自体がつらい日もあるのだが、それでもなんかを読みたいという欲求が消えるわけではない。本はどんどんたまってゆき、開かれることもなくなってゆく。そういう焦燥感があって人付き合いが嫌いになる。孤独も怖いくせに自分勝手なのである。
 まあしかし、それは分かっていることだ。一日にたとえ一ミリでも前に進むのが読書道(そんなものがあるとしてだが)というものである。毎日の刻みを大切に歩んでいくしかあるまい。
コメント
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