出張中にいろんな世代の人とさまざまな話をする機会があったが、世代による世相に対する認識にかなり違いがあることに気づかされた。僕の偏見もあるのかもしれないけれど、おおむね僕よりちょっと上の世代までは楽観的であるが、それより上になると厭世的に変化しだす。僕より下は実はよく分からないが、けっこう前向きである。僕らの業界のことではあるが、おおむね勉強熱心で優秀な人が増えたなあ、と思う。僕らの世代の連中はろくなのはいなかった。少なくともちゃんとした人は、この業界を選んでいなかったのではないか。僕らより上はもっとひどくて、社会からあぶれたのでこちらにはめ込まれたような人がずいぶんいたようである。
年配の人が若者を憂うのは歴史的に仕方のないことだが、青年会議所などの組織の上でのことを考えると、最近の人のほうが平均して能力は格段に上がっているのは間違いがないことのように思える。以前は学校のように更生施設としての機能があったようである。もちろん今でもそういうことが必要な人もいるのだが、実にまれになった。もともと能力があったりする人が入会するようになっているのではないか。
しかし、たぶんそんなことはなくて、若者の平均能力が上がっているのである。しっかりしているのかどうかはともかく、若いうちからずいぶん鍛われて社会生活を送っているのではないかと思う。そういう人しかまともに仕事ができないので、既に生き残っている人は当然のように優秀なのである。駄目な人間は仲間にさえ入れなくなっているのではないか。
世間では大学生などの若者がバカになっていると思っている人が多いようであるが、若者の幼児化と能力差はあんまり関係がないのではないか。先進国といわれる国の若者は総じて幼児化しているらしくて、それはそれで困ったことなのかもしれないが、実際に社会生活を営める人との選別化が進んでいるのではないだろうか。若い人は応用が利くので、そういう幼児性のある人であっても就職できるような人であればすぐに馴染んで社会生活が送れるようになってしまうのではないか。問題のようにいわれて世間が冷たくなった分、早く厳しくしごかれてしまうことだってあるのではないか。僕のようにバブルの時代の人と比べて今の若い人が能力が高いように思われるのは、そういう厳しい環境の違いではあるまいか。
確かに以前までは一種のエリートでなければ高学歴はありえなかったということはそうなのだろう。みんなが高学歴なのだから平均化すると下がるのはだから当然である。別に問題でもなんでもない。
働かなければ食えなかったなどという話も聞くが、システムとして効率が悪かったので働かざるをえなかったのではないか。以前なら自分が動かないことには物事は何も変化しなかったが、今は何もしなくても物事の方が勝手に変化していく。何かをすることはほとんど余分なことになっている可能性さえある。そういう中での能力差というのは、比較のしようがないことなのではないか。
若くて未熟なのはいつの時代にも当然のことである。それでいいかというのは確かによくないのかもしれないが、既に完成した人が現れたら年寄りはどうするのだろう。いらなくなった人が頑張るとろくなことにはならない。若者が未熟だから必要とされる役割もあるというものだ。今の若い人たちに問題があるほうが、高齢社会にとっては好都合なのではないだろうか。
年配の人が若者を憂うのは歴史的に仕方のないことだが、青年会議所などの組織の上でのことを考えると、最近の人のほうが平均して能力は格段に上がっているのは間違いがないことのように思える。以前は学校のように更生施設としての機能があったようである。もちろん今でもそういうことが必要な人もいるのだが、実にまれになった。もともと能力があったりする人が入会するようになっているのではないか。
しかし、たぶんそんなことはなくて、若者の平均能力が上がっているのである。しっかりしているのかどうかはともかく、若いうちからずいぶん鍛われて社会生活を送っているのではないかと思う。そういう人しかまともに仕事ができないので、既に生き残っている人は当然のように優秀なのである。駄目な人間は仲間にさえ入れなくなっているのではないか。
世間では大学生などの若者がバカになっていると思っている人が多いようであるが、若者の幼児化と能力差はあんまり関係がないのではないか。先進国といわれる国の若者は総じて幼児化しているらしくて、それはそれで困ったことなのかもしれないが、実際に社会生活を営める人との選別化が進んでいるのではないだろうか。若い人は応用が利くので、そういう幼児性のある人であっても就職できるような人であればすぐに馴染んで社会生活が送れるようになってしまうのではないか。問題のようにいわれて世間が冷たくなった分、早く厳しくしごかれてしまうことだってあるのではないか。僕のようにバブルの時代の人と比べて今の若い人が能力が高いように思われるのは、そういう厳しい環境の違いではあるまいか。
確かに以前までは一種のエリートでなければ高学歴はありえなかったということはそうなのだろう。みんなが高学歴なのだから平均化すると下がるのはだから当然である。別に問題でもなんでもない。
働かなければ食えなかったなどという話も聞くが、システムとして効率が悪かったので働かざるをえなかったのではないか。以前なら自分が動かないことには物事は何も変化しなかったが、今は何もしなくても物事の方が勝手に変化していく。何かをすることはほとんど余分なことになっている可能性さえある。そういう中での能力差というのは、比較のしようがないことなのではないか。
若くて未熟なのはいつの時代にも当然のことである。それでいいかというのは確かによくないのかもしれないが、既に完成した人が現れたら年寄りはどうするのだろう。いらなくなった人が頑張るとろくなことにはならない。若者が未熟だから必要とされる役割もあるというものだ。今の若い人たちに問題があるほうが、高齢社会にとっては好都合なのではないだろうか。