カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕のジコチュー

2006-09-22 | 音楽

 人の趣味のことをとやかく言うのは人格者とはいえない。あまりに趣味の悪い人は確かに一種の公害には違いないが、とやかく言って直るものでもなかろう。そういう無意味なことになると異常に情熱を傾ける人がある。それを周りの人も楽しんでいる。辛口だと意外と気分がいい。人をバカにする行為はほめられたものではないけれど痛快なのである。
 僕はファッションなどは興味がないけれど、奇抜な格好を見ると飛びのいて驚くほど小心者だ。告白すると二十台前半は長髪にピアスの青年だった。そうして下駄を履いて車を運転していた。そうかと思うとスキンヘッドで眉まで落とすということもしていた。自分がするのは楽しいが、他人がそういう格好をするのは迷惑である。今気づいたけれど、あんがい自己中心的な性格なのかもしれない。
 そういう性格のせいか音楽の趣味には差別的なところがある。他人の趣味なのだからどうでもいいことなのだが、自分と違うというだけでバカにしたくなるようだ。他人をバカにするヤツは何を偉そうなことを言いやがってと激しく嫌悪するくせに、自分の行為は見えていない。冷静になると僕のほうが悪いとは思うが反省するつもりはない。後悔先に立たずを座右の銘にするような人間に面白みのあるヤツはいない。人間、おろかであるから面白いのである。
 
 ボブ・ディランの新譜が出て米国などでは大ヒットしているようだ。確かに大御所だが、そんなに売れていいのだろうか。しかしこの人は意外に人を選ばないのが不思議だ。詩が凄いというのは翻訳したものが有名なので知っているが、日本でも絶大な人気があるだろうことはやはり不思議に思える。まあ確かに以前から偉大だったが、日本ではそれなりに知る人ぞ知るという程度だったという覚えがある。地道に浸透したのだろう、今は事情が変わったようだ。確かに渋いといえばそうだけれど、正直に言うとこれだけ長いあいだ歌い続けているくせに、相変わらず歌は下手である。
 泉谷しげるなどはひどい音痴だが、シンガーソングライターには、あんがい歌の下手な人が多いような気がする。このあいだ武田鉄矢(この人はデビューが歌手だったはずだ。なさけない演技が意外とうまいので人気を博し、いつの間にか俳優になった。泉谷も、ある意味でそんな感じだけれど…)を見に行ったのだが、改めて歌はひどかった。演技の科白は覚えているのだろうが、いまだに歌詞カードを見ながら歌うのは、きっとテレ隠しなのではないだろうか。
 アイアン・メイデンの新譜も聞いてみて、相変わらずだなあと変な感動をした。このバンドが日本で絶大な人気のあることは知っているが、ロック愛好家にはそれなりの複雑な状況があって、このバンドはよくバカにされる代表でもあるのだ。昔爆風スランプのサンプラザ中野が「俺は44マグナムが大嫌いだー」と叫んで喝采を浴びていたが、同時にメタル系の革ジャン軍団に妨害されていたことがあった。そういうところがさらにこういう人たちがバカにされる題材になってしまうのに、コアなファンは場が読めないのである。もちろん僕は積極的にバカにしていた張本人だけれど、実はファーストをちゃんと買っている。そういう事実がさらに僕を恥ずかしさの境地へ追い込んで凶暴にしてしまうのだろうと思う。今は大人になって面の皮も厚くなったので、恥ずかしさは残るにしろ、それなりにいいと正直に思う。
そういえば僕より10ばかり先輩にもUFOとかマイケル・シェンカー(同じだ)を熱心に聴いている人がいた。普段はパンチパーマをかけているくせにそういう音楽の趣味は不自然だと思った。怖かったので言えなかったが、心の中でバカにしていた。
 さて、きょうだい喧嘩ではないが、いがみ合わなくてもいいような組み合わせがある。代表的なものはジョン・レノンとポール・マッカートニーだろう。同じビートルズのメンバーなのに、なんとなく派閥が分かれている。ちょっと政治的な意見のある人はジョンをほめてポールを貶す。なんとなく女にモテそうなヤツはポールを肯定しているように見えた。ポール派は穏健であるように見せかけてウラで女といちゃついているような気がしていけ好かなかった。もちろん一方的な偏見である。確かにポールのつくるメロディは美しいので女に人気があって当然だろう。今は、僕でもそう思う。それにジョン派といえども近頃のヤツは軟弱になってしまった。イマジンはいい歌だが、イマジンを好きな人は胡散臭い。憲法9条をかたくなに守りたいのかもしれない。
 昔話ついでにテクノファンというのもいる。ディーボなどは見た目が決定的にかっこ悪かったけれど、今になってみるとあんがい評価は高い。問題は日本の誇るYMOだが、このファンはなんとなく気持ち悪かった。心あるロックファンはイモと発音して読むのであった。今のテクノとは隔世の感があって、今となってはあれはなんだったのか、かえって整理ができない。
 歌謡曲は基本的に聞かないが、以前はテレビを見ていたので結局はけっこう聞いていた。五輪真弓は正直に言って最初は怖いと思ったが、女の容姿のことをとやかく言うのはなんとなく卑怯な気がして黙っていた。しかし歌謡曲にも歌のうまい人が堂々としている姿はえらいと思った。違う意味で歌は怖いがDJはアンバランスに崩れすぎている中島みゆきは意外にロックファンが多いと思う。繰り返すが歌の内容は恐ろしくて一人で聞けたものではない。これをホラーと思わず一人で聞ける女がいるというのがさらに恐ろしい。
 松任谷(荒井)由実は一種の天才であろうと思うが、間口が広すぎてやはり抵抗がある。僕は母から彼女のレコードを買ってきてくれと頼まれたことがある。吉田拓郎も一度買ってこいといわれたが、歌詞カードだけ抜いて読んでいるだけで、レコードは僕にくれた。僕に変人の素養があるとすると、間違いなく母にも責任があると思う。
 僕はロックが好きだとかいってチューリップとかオフコースを上げるようなヤツもいた。どうやったらそういう勘違いができるのであろうか。あいつはちゃんと就職できただろうか。少なくとも仕事はできないだろうから、相変わらず誰かが迷惑しているに違いない。
 産業ロックも堂々と聴くべきではない。ジャーニーとかシカゴとか、懐かしくてつい買ってしまいたくなるが、なんとか自制できている。あちら側に行くほど性根は腐っていない。魂を悪魔に売ってまで快楽を求めてはいけない。これは沽券の問題なのである。
 クラッシックの状況は疎いが、ラフマニノフを聞いている男にはなんとなく近づきたくない。あれは女が聴く音楽ではないか。しかしこの世界ほど差別が大きいのも確かな気がする。ベートーベンが好きな人がビバルディを褒めているのを見たことがない。チャイコフスキーもなんとなくバカにされている気がする。しかしメロディが美しくてもモーツアルトはそれなりに無難な感じがするのが不思議である。彼ぐらい変人で天才なら許されるということだろうか。何しろ牛に聞かせると乳の出がいいそうだ。

 と思いつくままに書き出しても、温厚な僕がなんとなく音楽のことならスラスラと多少の悪口なら言えてしまう。この差別意識はどこからくるのだろう。もちろんそういう自分は棚に上げているのだから卑怯な行為ではある。自覚しているが止められない。酒を飲んでこういうバカ話をするのは気分爽快である。
 しかし、いつもいいことばかりなのではない。ギター弾きの中にはジミー・ペイジをバカにするとかっこいいと思っているようなバカがいて、時々激しく喧嘩になってしまう。僕の理性を保つために周りの人は気を遣うべきだと思う。

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