カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

悪女こそ価値ある人生  ギルダ

2014-12-24 | 映画

ギルダ/チャールズ・ヴィーダー監督

 一般的にリタ・ヘイワースの魅力が発揮された古典的なサスペンスとして知られる作品らしい。たぶん僕もそのような動機を持って借りたに違いない。どんでん返しもあるし、ままならない魅力的な女に振り回される男たちの姿も面白い。裏社会というか、当時の風俗というか、古き良きアメリカということも見て取れるし、当時の人たちの価値観のようなものも、なんとなくだが分かるような気がする。要するに現代とは違っておもろいな、ということである。
 お話のスジとしても、これでいいのかというか、最初の展開からちょっとだけど無理はある。イカサマをした人間を助けた上に自分の経営するカジノを事実上すべて任せて仕事を放りだして、帰ってきたらそのイカサマ師の元彼女と結婚していたりする。そうしてその女のことを本当に好きになったとかで、そのイカサマ師に嫉妬したりしている。なんじゃそりゃ、と思わない方が不思議だとは思うが、まあ、そういうお話がそれなりに成り立っていてサスペンスフルな訳だ。客観的にみて、これでもめないわけが無いではないか。
 しかしまあ、リタ・ヘイワースな訳だ。いわゆるゴージャスな女ということになるが、現代人から見るとセクシーなのは分かるのだけど、激しくそういうわけではない。現代がいかに過剰になっているかという証左になろうが、そういう控えめであるけれど、髪だけは自己主張が激しくて、やはり時代だと思う。地味目にセクシーなんだが、そういうところもなんとなく微笑ましい程度に良くはある。歌って踊る感じも確かに良いとは思う。自由奔放さには、ちょっと自堕落すぎるかな、とも思うわけだが、ある意味で正直でよろしいともいえる。今の時代の謎めいた美女には、もう少し冷たさが強調され過ぎていて、やはり情が無いところもあるから、強がった悪女の方がわかりやすいということもあるだろう。どっちが悪かったなんて比較は、ある意味で無意味でもあるし。いつの時代でも悪女に振り回される男の悲劇が楽しいわけで、そういう娯楽に巻き込まれた男は、不幸であり仕合せなのだ。何しろ運命の女が悪女であるからこそ、男は頑張ってのし上がることが出来るのかもしれない。自分の為に命を懸けて頑張って仕事して、いったいそんな人生に何の意味があるというのだろう。
 そういう古き良き時代の映画と、今は忘れてしまいそうになる人生の本当の楽しみを思い出させてくれる作品という訳だ。まあ、好き好んで悪女にのめりこむ必要は無いわけだが、そうなってしまった人にはそれなりに参考にどうぞ。
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