カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

宮崎あおいの完成度/好きだ、

2006-09-26 | 映画
好きだ、/石川寛監督0609
 宮崎あおいに熱中しているように思われるかもしれないが、その通りである。その通りではあるが、昔から知っていたとはあまり意識的ではなかった。この映画を観ていてなんとなく思い出したが、確かに以前から見ている。「ユリイカ」に出ていたのだとは聞いていて、そうだったかなという程度にしか認識していなかった。この映画を観て思い出したのは、ゆるさがなんとなく似ているからかもしれない。
 「ユリイカ」は非常に評価の高かった作品だが、正直言ってかなり退屈だ。西洋人は日本のことをよく知らないので、勘違いして高い評価をしてしまったのだろうと疑っている。僕はためしに後半部分を早送りしてみてみたが、それでも動きが遅かったぐらいだ。ひどすぎる。芸術だといっているヤツは、このつらさを多くの人に共有してもらいたかっただけなのではないか。自分だけではずるい、ということで…。
 さて、「好きだ、」も映画館でみた人がいるのだろうと思うと、お気の毒であった。カップルで期待を持ってみた人も、困ったなあなどと思いながら観たのではないか。まあ、悪い話ではないような雰囲気は持っているんだけど、この映画をほめるのもなんとなくかっこつけているみたいでかっこ悪い。そういう人は誰か他に友達でも作ってみたらどうか、と言いたくなる。付き合うのがつらいのである。
 まあ、僕は変人だから、退屈な映画が必ずしも嫌いなわけではない。もう少し失敗作だと、僕は知っている、という感じがして満足できるのだが、適当に狙ったコマーシャルさが鼻につくのかもしれない。どうだ、よくできているだろう、という優等生っぽい感じが癪に障るのだろう。そうまでして賞を取りたいのね、といいたくなってしまう。賞さえ取れなかったら、まさに悲惨だったのではないか。
 「普通っぽい感じが見事な演出」というのは、外国人が好きな傾向だ。このよくワケの分からない日本の日常っぽい感じが、たぶん評価されているのである。しかしながら、僕たち日本の青年達は、こういうたるい日常を喜んでいる場合ではない。突拍子もない事件もおこるが、説明として説得力がない。こんなことは、普通はおこらない。ちっとも本当の日本の日常と違うじゃん。嘘をついて日本っぽさを演出しては駄目ではないか。

 翌朝当たり前のように連ドラで宮崎あおいを観る。最初からこれをまじめに見るべきなのかもしれない。ほとんど出づっぱりで、ちょっと大人になってしまっていることが不満なぐらいで、少年のような声をたくさん聞けるだけでも幸せだ。もっと不満だとか小言だとか強がりをたくさん言って欲しい。最後に声を出さずに笑うだけで、宮崎あおいは完成するのである。

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