カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

もはや自己責任論では無い

2018-10-30 | 時事

 安田さんが殺されなかったというのは良かったのかもしれないが、この解放についての議論というのは、なんだかどうも変な感じになっているようだ。自己責任論という妙な取り扱いで議論になったりしている。
 もともと自己責任論は安田さん本人が言っていたことらしく、意味としては「勝手に報道に行くのだから、日本政府は俺には構わないでくれ」という事だったらしい(本人の自己責任であるということ)。報道のためとはいえ危険な地区に日本人が行くことはまかりならん、という日本政府に対して批判したものである。にもかかわらずご本人は何度か拘束された過去もあるものだから、身勝手ではないかという批判があるわけだ。
 さらにこのような拘束というのは要するに金の問題で、今回はカタール政府が関わって数億の金が動いたと言われているので、たとえ日本政府が金を払わなかったという事であるにしても、カタールは当然日本政府と関連を考えての行動であるから、何らかの取引を政府がやっていることになるはずである。これも聞くところによると、いまだに安田さんは政府(特に安倍政権)批判をしているそうで、助けられたにもかかわらず見苦しいといわれている訳だ。いったい何を考えておられる人なのだろう。
 ところがこれを政府批判の材料として、やはりおおむねメディアは安田さんを擁護するものが多い。この違和感にネット社会は大反発している(もしくは議論を二部している)という構図になっているように見える。
 メディアのいやらしいところは、やはり海外の取り扱いとして、主に海外に出ている著名な選手などのコメントを利用したりしている。同じ日本人であっても、外国にいる人であれば、このような勇気ある報道姿勢を正当に評価できるのであるという説教である。それは意見としてはそうであっても、要するに海外にいるので、日本のことを理解できていないだけのことではないのか。
 結局これは自己責任論でもなんでもない。自己責任論で自殺しようとしても、周りは止めようとはするだろう。問題は、金を稼ぐために報道しようとしている個人に対して、このような問題を起こしてしまいかねないことについての議論に絞るべきだろう。
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