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ドリーム/セオドア・メルフィ監督
60年代のまだ有色人種に対しての差別の残る米国社会で、NASAはマーキュリー計画という有人宇宙飛行の計画を持っていた。そういう中で多くの黒人女性が、科学者の計算を支える仕事をこなしていた(電話交換手やタイピングの仕事を女性にさせていたような感覚だろうか)。下仕事というだけでなく、女性でさらに黒人という立場にあって、しつこい差別や嫌がらせを受けながら、優れた計算能力を発揮し、存在感を徐々に高め、そして認められていくお話。米国に根付く当時の差別と、事実に基づくサクセス・ストーリーである。
有名大学を出て実際に学位を得て、さらに標準以上に能力の高い女性たちを低賃金で集めたら、黒人ばかりになったということなのだろうか。白人女性は秘書などの管理部門にちゃんといて、真珠のネックレスがかえるほど給与を得ている。差別しているので、黒人女性をあしらい使うのに躊躇が無いし、同情も抱かない。多少ステレオタイプに演出しているのは間違いなかろうが、人の命のかかったNASAのような先端的な能力の高い連中にあって、差別の根幹は揺らいでいない。ほとんど唯一、変人で合理主義者である上司の一人が、その合理性を重んずるがゆえに、この状況を理解するのみである。
それでもほんの50数年前の話なのである。大昔ではない。改めてこういう話を見ると、なんだかとても信じられない気持ちになる。人々は国としても対立していたが、偏見でも対立していたらしい。人間とはそういう性質を持った生き物なんだ、ということが見て取れるだろう。
もちろん、このような人々がいたから世界は変わるのであり。先人の偉さはこういうところに現れる。今では痕跡も残らず何でもないことであるが、だからこそ社会の変化というのは、ものすごい労力の必要な偉業なのであろう。