カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

恋愛は同性愛だからこそせつない   渚のシンドバッド

2016-03-30 | 映画

渚のシンドバッド/橋口亮輔監督

 浜崎あゆみが女優だった頃の作品として知られる作品だが、同性愛や嫌悪の対象となる人間の青春劇としても、なかなかよくできた名作といえる作品ではなかろうか。
 ストーリー自体は単純で、クラスメイトで同じブラスバンド部のイケメン君に恋するせつない展開があるわけだが、これが多感な高校生でありながら同性であるというだけのことで、妙な緊張感が持続している。これにどうも過去に何か訳ありの転校生の女の子が絡んで、さらにギクシャクした三角関係が生まれる。好かれている男の子にしたって、物分かりの悪くない、いわゆるいい青年なんだけれど、いかんせん同性愛者ではない。仲の良い友人と思っていた人間から告白され、戸惑いながらも少しだけは受け入れるような気分になるが、周りの人間の偏見の中にありながら、どちら付かずに迷わされていく感じだ。一種の悲劇なのだが、どうにもならない恋心と性の衝動に自分を抑えられない同性愛の青年と、その思いに戸惑いながら、しかし転校生の女の子の方に惹かれている現実のあるノンケの青年の苦悩もまた、非常に同情してみることが出来た。むしろいじめられているのはどちらの方なのか、という感じだ。このどうしようもなさは、まさに同性愛の恋愛につきものの、行き場の不明瞭なせつなさということなのだろう。
 同性愛や、性の問題に苦しむ人間を見て、周りの人間の嫌悪感も激しい。本当に残酷なのだが、その残酷さを生む一種に気持ちの悪さというのもあるのは確かで、そういうことについても正面から向き合っている。しかし、そうでありながら、若い性愛へのけなげな姿も、危ういながら見事に演出されている。相手を好きだからこそ求めるというのは、確かに自然には違いないが、素直になれない環境下にあると、この状態が極めて危ういものであることが、見事に伝わってくるのである。なんだか見慣れた情景が多いような感じがして、途中から長崎の風景であることに気付いたが、そういう身近な過去の記憶のような、デジャブのような感覚が、頭を混乱させながらも、いつまでも続いていくような映画だった。
 映画賞なども受賞した映画だというが、当然と言えば当然だろう。娯楽作品として能天気になれるような作品ではないけれど、映画の王道として見事ないい映画である。
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