カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本屋の消滅

2014-12-21 | net & 社会

 ネットで買い物をすることになって一番変わったのは、何より本屋に寄らなくなったことだ。いや厳密にいうとまったく寄らないわけではないが、もう以前のように生活の一部ではなくなった。本屋に寄っても本を買わなくなったし、本屋で確認してネット購入することもある。切迫した状態でなければ、行っても買いもしない。本は重たいので、運んでもらった方がいい。要するに本屋から外に出て、携帯で注文したらいいわけだ。本なら常時鞄やポケットの中に入っているわけで、読むモノには困らない。買うという行動において、本屋の必要性はどんどん減っていると言っていいだろう。そうして街の本屋は消え、大型書店でも品ぞろえが貧弱になっていく。そういう循環にあって、さらに本屋が遠のいていく。嘆くとかそういうことをしてもいいけれど、それが現実として、今のところ歯止めが効く方法は知らない。
 本屋自体は今でも好きである。やはり手に取って本を選びたいという欲求は残っている。新たな本との出会いも楽しいし、本屋を徘徊する時間のなんと早いことか。本を読んでいるより選んでいるときの方が楽しいときがあるくらいだ。
 人と待ち合わせするにしても、以前なら決まって本屋だった。出店するときに荷物が増えるのが難点だが、特に待たされても苦にならない。場合によっては次に予定があっても出にくいこともあったが、人を待つという苦行のことを思うと、実に最適の場所だったことは間違いない。適当な喫茶店のような所であっても、変に人を待つというのは手持無沙汰である。時間つぶしという意味では結局本を読んだりして待つのだし、周りの客などが気にならないということを考えても、店で待つのはあんまり適当ではない気がする。
 さてしかし、本当に適当な本屋は消えた。本屋が消えたが、ほとんどの人は本なんて買わないだろうから、そんなに影響も無いのかもしれない。ある人にどこで本を買うのか聞いたら、コンビニという答えもあった。コンビニに本が売ってあるって気づかなかったが、確かにあるようだ。ミステリとかハウツーものとかエロとか売ってある。恐ろしくどれも欲しくない。だから気づかなかったのかもしれない。雑誌を見ていてもやはりエロと漫画が目につくし、長時間時間をつぶすところでは当然違うようだ。
 図書館には小学生時代を除くとあんまりなじみが無い。勉強をしない子供だったせいもあるし、なんとなく落ち着かない空間という感じもする。借りたら返さなくてはならないし、本に書き込みができないし、近くにも無いし、品ぞろえも謎めいている。調べもので年に数度いかないわけではないが、調べたら結局買うのでカタログ展示場のようなものかもしれない。それも結局ネットのためのものだ。
 それでも唯一というか、出張などの移動の折にはちょくちょく本屋に足を止める。地方の書店でも結構入るかもしれない。地元には本屋らしいところが既に消滅していて、やはり必要があるということなんだろう。時間の制限があるから足早に回るが、やはり本屋に寄って品ぞろえがちょっとだけ偏っていると大変に嬉しい。どこも一緒のような展開は確かにあるが、最近は書店員も危機感があるのか、工夫しているところがそれなりにあるのだ。でもまあそんなに売れている風ではないが、そういうところは今でも楽しいかもしれない。
 もう戻らないだろうとは言ったが、都市部には本屋は残るのだろう。地域格差がある限り、地方の本屋は戻らないだけのことなのかもしれない。
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