カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

もう海には行きたくない

2020-08-22 | 境界線

 毎日暑い夏の日々である。こう暑くては何もする気になれないのだが、しかし以前はそんなことは無かったのである。以前といってもずいぶん以前で、要するに若い頃である。若いというのは体力があるので、暑くてやりきれなく怠いといっても、夏の暑いさなか泳ぎたくなったり、釣りに行ったりしていた。いったいあれは何だったのか、と思うのである。
 暑くて家でゴロゴロしていることも悪くは無いのである。テレビを見たり映画を観たり、本を読んだっていい。友人の家にはエアコンの利いた部屋も無いではなかったが、僕らの住んでいるようなところは、たいてい扇風機だった。ビルの谷間のアパートという訳ではないから、窓を開けて扇風機を回しさえすれば、暑いなりに行動はできる。もっともほとんどゴロゴロしてたはずだけど。今となってはもったいない限りだと思うのだけど、若い頃には時間を持て余していて、要するにたいてい暇だった。暇というのはとりあえず目の前に予定らしき予定がなく、朝であったらその後の昼を待っているだけのことで、昼であったら次に来るだろう夜までどうするか、と思い悩むような類いの暇である。何か大声を出して、あーっと叫びたい感じの倦怠感が漂っている。しかしどうすることもできないので、まあ、海にでも行ってみようかな、という気分になったりするのである。海には一応海水があって、水を浴びている自分の姿を想像すると、今の状態よりはいくぶんマシというか、夏の解放感と爽快感が得られるような漠然とした期待がある。そうするとそれが、なんだかものすごくいいアイディアのように思えなくもない。ならば重い腰をあげて、友人でも誘って海に行こう! と言いたくなるのである。
 僕は男だから、実はそれがもっと大切な目的だったかもしれないが、やはり海には女の人がいるんじゃないかという期待があったことは、伏せてはならない問題かもしれない。正直に言うと、それは期待が大きすぎるほど大きかったかもしれない。そうしてそうであるから、誘われただけで迷惑でたまらない友人だって、やっぱり俺も行こうかな、という気分になったはずなのである。海パン持ってなかったら、そのままズボンでもいいじゃないか、というか、サンダルも持ってないけど、はだしでもいいかもな、といういい加減な装備でもって、とりあえず海へGOなのだ。車の中は触れられないほど熱く窓を開けても熱気は安易に外に漏れないが、そうやって汗だくになって乗り込んでカセットテープをカーステレオにセットしてボリュームを上げると、一気に世界が夏に迎合する。僕らの生きている世界は真夏だが、活き活きとしたものへと変化するのだ。
 結局いつの間にか失くしてしまったのだけれど、こういう気分はもう二度と戻らない気がする。暇といってもなんとなくくらいの予定はあるし、気にならないことが無くなることも無い。リタイアすると別だろうが、そうしたものがいくつもスパゲティ状に絡まった問題が、目の前に山になっているし、道を歩けばまとわりついてはなれない。ただでさえ外は暑いが、以前から暑い夏はやってきていたわけで、今のようにエアコンに逃げ込めるということを考えると、近寄らなければ避けられる暑さなのかもしれない。避けられなければ着替えればいいし、やり過ごす場所は複数ありそうだ。やるべきことは暑さに付き合うことではなくて、季節に関係無くやって来る問題との対峙である。
 要するに、もう海にいきたいかどうかなんてことすら、考えなくなってしまったのである。
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