カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

不幸な争いの時代に生まれた大統領

2024-09-10 | ドキュメンタリ

 いまさらながらゼレンスキー大統領に関するドキュメンタリを見た。ゼレンスキーはウクライナ東部の生まれのロシヤ語圏で育ち、ロシヤ語しか話せなかった。若いころからアマチュアのコメディ番組には出ていて、人気が出たのはロシヤの勝ち抜きコメディ番組からであった。だからすでに十代から人気があったらしい。番組ではチャンピオンになったりして頭角を現し、コメディを中心とする俳優として活躍する。大学は出ているが、卒業後本格的にコメディアンとして仕事に打ち込んだとされる。
 それらはすべてロシヤ語で行うものだったようで、あちらの事情がはっきりしないところもあるが、両国で人気があったということかもしれない。プーチン大統領もこの番組は見ていたと言われ、大統領選挙の前には、番組を観客としても見に来ており、いわば選挙活動の一環としてテレビの露出する戦略も取っていたようだ。もっともその放送時には、ゼレンスキーは予選落ちしており、一緒にテレビの画面に登場してはいない。
 ゼレンスキーはコメディアンとして人気があったものの、ウクライナの国民的な人気を博すことになったのは、なんといっても「国民の僕(しもべ)」と言われるドラマで主演してからである。大統領役を演じ、真に国民のために働くヒーローを演じた。まだその頃にはノンポリのようで、個人的には政治的発言はしていなかったが、ドラマの役柄と同様に、政治家として期待を集めるようになり、徐々にその気になっていったようだ。もっともその頃にはまだ、大統領候補者としては泡沫に近く、支持率も10%も無かった。苦手なウクライナ語を短期間でマスターし、徐々にウクライナ語で演説を行うようになる。それでもまだ、東部のロシヤ寄りの候補者と見られていて、真に信用されてはいなかった。当時は俳優時代にテレビ番組で、(相次ぐ犠牲を防ぐため)国民のためにならロシヤに跪く(和平のためという意味だろう)という発言が問題視され、現職の大統領からもそのことを公開討論会で批判された。ところがゼレンスキーはこれを逆に利用し、戦闘でなくなった犠牲者の母親のために跪く、と発言し、実際に跪くパフォーマンスを行い形勢を逆転した。要するにコメディ番組で鍛えた機転の利く行動で、さらに人気が出たということにようだ。
 大統領になってからドイツやフランスの仲介でロシヤのプーチンと会談する機会を得るが、交渉はまとまることは無かった。共同での会談を終え、ゼレンスキーはロシヤ国民に向け、争いをやめてウクライナの独立を認めるよう演説をした。一方のプーチンもウクライナに向けて抵抗をやめてお互い理解すべきだと訴えた。つまるところ平行線のままゼレンスキーは、欧州との関係を重視する方向性を示し、結局はロシヤが今世紀三度目のウクライナへの侵攻に至ったという訳だ。
 この戦争の結末は見通せないが、ロシヤとウクライナの関係は、はるか先の時代にならない限り解決をしないことが明確になったとされる。結果がどうあれ、恨みを深める時代が長く続き、その後の関係改善の道は閉ざされたと言えるだろう。それは我々が生きている間には、決して成し遂げられることのない暗黒の歴史であるということになるのだろう。
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