主に富裕層らしいが、フーディーと言われる人たちがいるという。世界中を旅する人たちなのだが、その目的は「食」。その地でしか味わえない美食を求めて、実際に世界中を飛び回る。基本は高級レストラン廻りなのだろうけど、その料理そのものよりもはるかに多くの資金をかけて、食べるためだけの移動を厭わず、金に糸目をつけない。
有名なシェフの有名な料理はもちろんだが、主に食材を大切にしているともされる。流通に適さない希少なものであるとか、その産地で新鮮なままであるとか、その地での季節限定であるとか、そういうものである。常に最高のものを求めて、世界中を飛び回る。そういうものを食べたいという欲求と、実際に口にする感動を求めているということなのだろう。
かつて、というか今もミュシュランはあるのだろうが、タイヤメーカーのレストラン・ガイド本に乗っているレストラン巡りをする富豪というのは、以前より有名である。日本のものが出たことで、日本にも多くのグルメがやって来たともいわれる。海外から予約し、その日に合わせて来日しておられるのだろう。一種の酔狂だが、そういう事が可能な人間であることの喜びがあるのかもしれない。
ミシュランは興味本位に読んでみたが、もちろん有名な店が多くて知っているところがあるものの、まったく意外というか、ほんとかね、というような店も多く取り上げられていたという。僕には細かく分かりようが無いが、パラパラ見ただけで予約には至らなかった。一瞬行ってみてもいいかな、という場所の店もあるのだが、やはりそこまでして、という気持ちが勝るのかもしれない。正直なところ食べてみたいが、だからどうした、というのもある。僕にそこまで最高のものがわかるとも思えない訳だし、話のついでにしては、手間がかかりそうである。面倒なのだ。
以前父の本棚の一角に、東京大阪の店のガイド本とか、池波正太郎の本などがあって、ちょっと意外に思ったことがあったが、出張か何かで思い立ったことがあったのかもしれない。実際に行ったかどうかまでは、いまさら知りようが無いが。
もちろん僕は、料理本はよく買うし、ガイドのたぐいも探せばたくさんあると思う。パラパラめくってそのまま忘れてしまうのがほとんどだけど、なかには実際に行ってみた、というのはある。まあ、居酒屋とかラーメン屋だけど。でもまあそういうのを持って行って店を探したということではなく、なんとなく見たな、と思い出して行ってみた、という程度だ。用事があって、ぶらぶらして、携帯で検索するというのがほとんどになってしまって、紙の媒体で店を探すことはめったに無くなった。地図のたぐいをもって散歩していた時期もあるのだが、それは大雑把な位置関係と観光にでも立ち寄ろうか、という場合限定である。店は適当に入る。僕は食に関しては優柔不断なので、その時ラーメンの気分なのか定食などの気分なのか、判然としない。メニューを見て結局カレーだったりもするわけで、もう二度とこないかもしれない特殊な場所にしては、平凡すぎて後で何喰ったか忘れてしまう。思い出すことも無いでは無いが……。