カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

法医学者は苦悩するよりほかに無い

2024-09-08 | HORROR

 NHKのドキュメンタリで「法医学者たちの告白」というのを見た。だから本来はこの文はドキュメンタリに分類されるべきだとは思うのだが、内容が衝撃的で、ホラーとしか言いようが無いのでここに書く次第である。
 僕は知らないのだが、おそらくドラマか何かがあって、法医学者に対する万能感や期待が一般の人にはあるのかもしれない。しかし、いわゆる法を扱うプロであるはずの警察や検察が、法医学の知見を使って、人を犯罪に落とし込む仕組みがあるようなのだ。法医学者は、単に死体を解剖するなどして、死人がどうして死に至ったのか、という痕跡を探す。致命傷の瑕であるのか、とか、胃の中に何が残っていたのか、などは分かるのかもしれない。しかし厳密に言えば、何処で殺されたのか、だとか、いつ死んだのか(※死亡推定時刻は、現代では確定は限りなくむつかしいと否定されていることも、初めて知った。特に米国においては、司法解剖での確定は、絶対視されていないらしい)、とかいうことは、法医学に求められている領域を超えた分野であるようだ。しかしその報告の限りなく薄い根拠から、警察や検察は、容疑者を簡単に犯罪へと落とし込んでいく。そのことに法医学者は、大きな負担を強いられ、悩まされている。仕事の量も多い上に、検察側に有利なように、発言を求められているのである。いわゆる無理な相談を持ってこられた上に、暗に言うとおりにしないと仕事を回さない、と脅されもする。体制維持のためには、仕事をしない訳にはいかないが、質の高い仕事のための犠牲は、ほとんど限界にあるということを、彼らは言いたいようだ。個人には負担がかかり、不眠症になり、毎日夜に10キロ歩いて回る法医学者もいた。寝られない以上、歩くより無いようなのだった。
 一方日本の法医学者だったけれど、きっかけがあってハワイで法医学に取り組んでいる人の紹介もされていた。法医学者は独立して誰にも邪魔されず判断を下せる環境にあり、警察側だけでなく、弁護士側からも意見を求められたら返答することができるという(その違いが何なのか、そういう事も初めて知った。日本ではそれすら不可能だったなんて!)。完全に中立である上に、警察からの圧力もなく、自由に優先的に死体を見ることができる。死体が発見されると、その現場に警察よりも優先していくこともできる(いわゆる日本はそれすらもできないということだ)。犯人が誰というのは警察の仕事で、死体が自殺なのか他殺なのか、それを法医学的な知見から判断することだけを求められる。凶器が何だったのかさえも、答える必要が無い。どのようなものかという可能性だけ言えばよく、推理のかかるものに対する判断は求められないのである。
 そのような違いによって、つまるところどのような結果が生まれるか。要するに日本の場合、冤罪が生まれやすい土壌にあり(警察や検察の推理に合うように法医学の結果が求められるからである)、実際に将来は、冤罪事件がもっと増えることになるだろう、ということなのだ。現在冤罪が疑われれている事件においては、再審さえ棄却されている。ちゃんと捜査をしようじゃないかという道さえ、安易に閉ざされているのである。
 つまるところ警察や検察はお役所で、そういう組織は極めて日本的な考えの延長にあるところなのだ。日本人が集まって、その目的の上に話し合って何かをやろうとすると、自分たちの考えや利益のために、最大限努力をしようとする。それはつまるところ、公平に公正に物事を判断することよりも優先することが違ってしまいがちになるということも含んでいるのかもしれない。問題点を自ら改善することもできない。独立しての力が強すぎて、外部からの指摘を受け入れる土壌が無いのだ。そうして個人の力では対抗できない人が、冤罪として罪を背負わされているのかもしれないのだ。分かっていても、誰も助けることができない。助ける道を歩もうとするだけで、さらなるいじめを受けることにもなる。それが現実だというドキュメンタリを見て、ホラーだと思わない人がいるのであろうか。それが僕がそのような分類をした、大きな理由だったのである。
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