カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

料理番組は、ムック本とずいぶん違う

2024-09-04 | 

 料理にまつわる番組を録りためて観ている。時にはそういう番組のムック本が、並行して売られていることがある。シリーズになると、そういうコラボがあるのかもしれない。そうして本の方では、番組で作られたり食べられたりした料理の詳しいレシピが載っていたりするので、なるほど、より実用的に観ている人向けなのかもしれない。
 そういう事情があるのはよく分かるが、テレビで見た印象とずいぶん雑誌の紹介の仕方が違うのも、気になるところなのだ。僕が観ていたのは、「シェフの休日:しあわせごはん」というもので、ぜんぶの人を番組で観たわけでは無いが、その数人のものすべてが、番組の内容と本のそれとは、ずいぶん違う感じなのだ。シェフの休日の風景が、その人たちの厨房での姿から離れている姿がテレビの方がリアルで、本ではそれが完全に脱がされていない、というか。
 例えばイタリアンの日高良実さんの場合は、愛犬を失って傷心でありながら好きな永ちゃんを聴いて涙しているのが印象的だったのに、それがバッサリとなかったりする。餃子店の按田優子さんも、三浦半島での第二の生活っぽいところが印象的だったのだが、そういうのはムック本ではよく分からないのである。フランス料理の菊地美升さんも、函館の実家の商店跡だとか友人のお姉さんが吉田美和さんだとか、お母さんに料理を褒めてもらった嬉しそうにしている姿こそ番組のメインだったのに、なんだかそんな感じはそぎ落してあった。まあ、方針というか、視点が違えば、そこまで違うのか、ということなのだろうが……。
 薬膳の薮崎友宏さんの場合も、基本的に足利との二重生活で、その足利の風景と森里千里の「渡良瀬橋」の歌ともに哀愁をもって紹介されているところが良かったのに、それが無い。さらに基本的によく似た顔の娘さんに対する、何か愛情がにじみ出ている様子こそが、番組のメインと言ってい良かった。娘さんも、週末に帰って来るお父さんが好きでたまらない、という感じが良かったのだ。だからこそ、休日のごはんがおいしくできるのだ。他の人たちもみんなそうなのだが。
 もちろん僕が料理番組を好んで観ているのは、なんとなく料理をする風景が面白いからだろうと思う。僕はまったく料理はしないし、基本的に下手なのだろうと思われる。好きかどうかさえ自分では分からない。市場やスーパーをめぐるのも、買わないのに好きである。イイダコが、地元と他ではずいぶん違うな、とか、そういうのが楽しいのである。
 まあしかし、雑誌も落ち着いて活字でその人となりを再現しているので、そういうのは楽しんで読んでいる。見落としていたかも、というのがあるので、二重に楽しめるというのはあるかもしれない。録画は一度見たら、基本的に消去する。溜まっていくのが好きでは無いし、観たら消去する行為自体が、なんだか精神的にすっきりする。なんでそうなのかは、自分でもよく分からない。そうやって料理の番組を日々見て暮らし、僕は食べるだけの人になっているのである。
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