カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

お下劣下品な欲望映画   逆転のトライアングル

2024-09-09 | 映画

逆転のトライアングル/リューベン・オストルンド監督

 男性モデルと人気のあるインフルエンサーの美男美女カップルは、ちぐはぐな喧嘩をしながらもつきあいは深いようだ。そんな彼らは招待を受けて豪華客船の旅に出る。乗客は金持ちだが、ひどく個性的な人々ばかり。船上は金の価値が支配する一種の楽園で、乗務員は高額なチップの為なら何でもするような教育を受けている。しかし船長はアル中で、客にはかまわず部屋に引きこもっている。そうして嵐の夜に豪華ディナーパーティーを開催してしまい、皆はゲロの嵐に見舞われる始末だ。さらに船は難破し、海賊にも襲われて生き残りは無人島に流れ着くのだったが……。
 基本的には気取ったブラック・ユーモアで気分の悪くなるような人間関係を、これでもかというようなしつこさでもって演出し、呆れながらも苦みをもって笑ってしまおうという作品。実に下品なのだが、それが西欧の人の斜に構えた人間観ということになるのだろう。ゲロや糞便が満載で、さらに見た目と金と欲望に忠実なのである。力を持てば、見た目の美しい男に愛撫してもらい従える。見た目の良さで仕えれば生きていかれるのであれば、それを自覚しながら生きていく情けなさも、男の生き方であったりする。世間では金の力で何でもできる男たちは、ただ嘲笑をもって眺めるだけで、つまるところ無人島では何もできはしない。救助を待つだけの毎日にありながら、どういう訳か、誰も助けには来てくれない。生きていくには生活力のある元トイレ清掃員のおばさんに頼るしか、皆は何もできないのである。
 まあ、グロテスクな漫画のようなものだが、こういうのが映画賞をとってしまうようなウブな社会が、西洋なのかもしれない。彼らは人間が何なのか、表面的にしか理解していないし、そういう事でしか分からないのかもしれない。非常に薄っぺらいのである。確かに人気があるのは見た目の美しさや、それを演じる技術的なものかもしれない。しかしその肉体を維持するために、モデルたちは必至で体を鍛えたり食生活に気を配ったりしているはずなのである(現実の役者たちも)。金持ちであっても、肥料を売ったり武器を売ったりしているかもしれないが、その金の行き来の中に、人生の悲哀が隠されているはずなのである。分かりやすく宝石をつけているかもしれないが、そうしていないと尊厳が保てない。彼らも一種の役者と同じで、金持ちであることを演じ続けなければ、社会では生きていけない人々のはずなのである。実際のところいつ転落してもおかしくは無い。そんな人々はいくらでも知っているはずで、心の奥底ではどこかに脅えがあって、しかし気丈にふるまっている人もいるかもしれないではないか。
 まあ、そういう映画では無くて、最後まで皮肉は消えないのだが、まあ疲れる人間関係ではある。誰もしあわせな人はいない。しあわせになれそうにもない。そういう人を笑ってやろうと思うのなら、どうぞ観てくださいませ、ということになるのだろう。
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