ロケットマン/デクスター・フレッチャー監督
エルトン・ジョンの伝記映画。一部ミュージカルにもなっている。もっともエルトン・ジョンはまだ生きているのでこれからのことだってあるはずだが、いちおうの区切りってこともあるのかもしれない。著名なミュージシャンだから実像は誰でも知っていることだろうけど、歌は確かに上手いけど、あんまり似てない俳優さんがエルトン・ジョンを演じている。しかしこういう映画が凄いのは、映画の中だけの話かもしれないが、だんだんとこれが違和感がなくなっていく。そうしてもう、この人がエルトン・ジョンとして盛り上がっていく。そういう感じは映画的なマジックであって、やっぱり感心してしまった。ミュージシャンの映画はそれなりにたくさん作られている訳だが、彼の特殊なキャラクターと様々な過去をコンパクトにまとめてあって、なるほど見どころはある。本人がどれくらい関与したのかは分からないが、こういうのは家族を含め注文がたくさん出るというのは聞いたことがあるが、ちゃんと家族も悪く描かれていて、かえって素晴らしいのではないかと感じた。こういうのは伝記小説なんかでも後でもめたりするので、そういうところもいろいろと折衝があったのではなかろうか。
エルトン・ジョンの音楽的人生の軌道のようなものは軸になっているものの、基本的には彼のゲイとしての生きにくい人生を描いている。家族からの理解は無いが、売れたら頼って来る。ゲイとして信頼していた男からも基本的には金のために裏切られる。ステージのプレッシャーは常に付きまとうが、ドラッグと酒におぼれ、しかしエンタティナ―としての才覚は抜群なのだ。
莫大な金を稼ぎ出して、いわゆる人類の中でも特殊に成功した人物でありながら、生きていくのはつらいものがある。それは様々な重圧と、まわりの不理解である。彼に音楽的な才能が無かったら、単に虐げられて埋もれてしまった不幸な人、ということになるのだろうか。いや、成功したからこそ苦悩がさらに付きまとっているようにも見えて、有名になることは人間的な代償が大きいと考えた方がいいのかもしれない。有名でない人間で生きていけることが、やっぱり基本的にはしあわせの道なのだろう。
いろいろと考えさせられるのだが、そんなに重たい物語でもない。つらいがカラッとしているところもあって、そういうところは日本人には無いところかもしれない。つまるところ、やっぱり自分でしあわせは掴みに行くのである。必ずしもずっと前向きな人生ではないのかもしれないが、そういうところは見習うべきところであろう。