カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

白黒はそんなにはっきりした違いだろうか   ブラック・クランズマン

2020-05-05 | 映画

ブラック・クランズマン/スパイク・リー監督

 コロラドスプリングスという町で初めて黒人の警官として採用されたロンだったが、他の白人警察官の多くは差別意識が濃厚で、資料係として働いている時に言葉や態度の嫌がらせが絶えない。せっかく警察に勤めながら面白くない毎日だったのだが、特技である白人の口真似ができることから白人至上主義の団体(あのクー・クラックス・クラン。要するに黒いクランズマンという名前自体が存在しえない団体)に電話で取り込み潜入捜査を始めることになる。しかしながら黒人なので実際に接して仲間に入れるわけではないので、ユダヤ人の同僚を影武者のように立てて、二人で一人の人物に成りすますのである。さらに同時進行で、黒人解放を訴える学生集団に潜伏する。対立するこの二つの団体は、内部ではより過激な主張に偏っていき、不穏な空気は次第に高まっていくのだった…。
 潜入捜査をしているという緊張感が一定以上のサスペンスになりながら、基本的には妙な連中を暴露するコメディのような要素もある。笑えるが、なかなか厳しい笑いだ。こんなことがちょっとでもバレてしまうと、相手は完全にキレることは必至で、要するに殺されるかもしれない。
 さらに黒人団体は、普段は差別的な体制側の手先である警察を嫌悪している訳だが、代表をしているアフロのカワイ子ちゃんがいるという興味もあって、心の葛藤がある。彼女は黒人指導者の講演などを聞いて、ますます過激に運動を展開させようと目論んでいるし、団体の運動自体の拡大を図っている。目立てば目立つほど、街の不穏な空気は高まっていくし、白人ばかりの警察も必ずしも自分の味方ではない。そうしてKKKのような団体は、黒人迫害のための計画と着々と進めていくのである。
 見ている視点には当然黒人側目線(もしくはマイノリティ)があるから、全体的にホラー映画的な緊張感がずっと漂っている。相手の方が感覚的にずっと変だけど、そのクレイジーぶりに同調しなければ(捜査上)生きていられない。同じように汚い口調で、自らの人種をくさしなじる。心の底から憎悪をたぎらせるように、相手をさらに喜ばせるように、過激に黒人を罵倒するのである。それ自体がブラックなコメディになっていて、妙な可笑しみがあるのも確かである。白人が黒人を差別的になじるならば嫌悪感が凄まじく湧いてくるのだが、黒人が同じ言葉で同胞をなじると、なんだか可笑しいのである。なるほど、このような罵りあいというのは、図式がしっかりしてないと、揺らぐ言葉なんだな、ということが確認できた。
 実話をもとにしながら構成されたお話ではあるが、なかなかトンマなクライマックスを迎えて素晴らしい。その後も一筋縄でいかない問題も残りはするわけだが…。
 この作品がたいへんに評価が高かったのは、このようなタブーに素直に向き合っていることと、ふざけ具合もちゃんとそれなりに計算されていることである。警察署内の人種の関係も、実際に好転していっているように見える。一緒に、ある意味で命を懸けて仕事をする仲として、やはり人種などは関係ないことなのだ。そこまで明確には語られないが、妙な黒人がいても、お互いに笑いあったり尊敬しあったりできるようになる。本当に危機は去ってしまったわけではないが、そのような道をすでにアメリカは歩んでいるのだという、そういうメッセージなのではないだろうか。
コメント
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