カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

没入感のあるシリーズ(思い出)

2020-05-01 | なんでもランキング

 没入感のある体験を思い起こすと、僕にとってのそれは、シートン動物記だったと思う。学校の図書館にいくつかの訳で、それぞれのシートン動物記があった。はっきりと僕が幾つの年だったかの記憶はあいまいだが、本当にいくつもの違う訳で狼王ロボや熊のワーブ、銀ぎつねの伝記などを繰り返し読んだ。図書館のものを読んだ後に、本も買ってもらって読んだ記憶もあって。藤原英司という名前を記憶しているので、集英社刊のものを与えられたのだろうと思う。こどもにとっては時々退屈な描写もあるのだが、擬人化した動物たちの感情も分かるし、しっかり調査されたのであろう、ドキュメンタリー的な要素も楽しめた。今の目でこれらの作品を読んだら、まただいぶ印象が変わる可能性はあるが、ドキュメンタリーともフィクションともつかないこれらの作風に、子供心に大いに影響を受けた可能性は高いと思う。
 その後没入して読んだというのは漫画が多い。少年漫画はもちろん読んでいたはずだが、僕はどういうわけか陸奥A子や河あきらを好んで読んでいた(おそらく「りぼん」から「別マ」へ移行したのだろう)。特に河あきらの「いらかの波」は、何度も何度も読み返した記憶がある。模写してまがい物のストーリー漫画を描いたりもしていた。そのうちに興味はくらもちふさこ、岩館真理子に移っていった。この二人の作品は、もはや模写までしなかったが、ものすごく影響を受けたと思う。僕は男だったので女の子たちとこれらの作品の話をすることもできず、孤独だった。男の子たちとは、ちゃんとドカベンなどの話題で合わせていたのだ(ほんとは銭ゲバも好きだったけど、読んでいるのは少数派だった)。もちろんドカベンは好きだったからだが、特に土門のファンであり、ちょっとアンチ明訓という気分はあったかもしれない。
 しかしですね、飛ばしてしまったけど、実にたくさん漫画は読んでいるのである。友人のお兄さんに労働者階級の若者がいて(いわゆるヤンキーではあったろう)、週刊誌や月刊誌をたくさん買って家に置いていた。おそらくマンガ好きの青年だっただけなんだろうが、助かるのはこの人が(あまり姿を見たことが無いので、名前は失念した)、割合几帳面で、読んだ雑誌であってもちゃんと本棚に保管していくタイプの人だった。友人の家は子供部屋をアコーディオンカーテンで仕切っただけの作りだったので、本棚に返しさえすれば、これを連続して読むことができた。僕らの貴重なアーカイブであって、一時期は本当にこの家に通ったものだ。今考えると多少家庭に事情があったのか、友人本人がまっすぐ家に帰らないなどの問題が起こってアーカイブ通いはいつのまにか終了してしまったが、小学生の高学年の頃は月のお小遣いが1500円(要するに一日50円)だった僕にとっては、ものすごく貴重な体験だった。だから結局費用対効果の問題もあって、僕は漫画より小説の文庫本を買うことになるのだから、漫画離れの原因は、個人的な貧困にあるのではないかと今は考えている。
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