別段なめていたわけではないが、ちょっと反省したというか。
実はできてから初めて、大村の「ミライON」に行ったのである。名前が気に食わないというのはあるが、だからと言ってそれは理由ではない。ふつうに僕の周りでは、図書館という人が多いので、問題はない。もうそんなに混んでないということは聞いていたので、行こうかな、とは思っていた。そうして今こそちょうどいい時期だな、と思ったら、コロナ禍ということなのか、しばらく閉まっているということだった。何の意味があるのか分からなかったが、行政のやる事なら仕方ない。もう行くもんか、とまではいかなくて、もう開いてるらしいと聞いたから、寄ってみたのだ。
駐車場はそんなに多くは無かったのだが、それなりに人はいた。学生もいるが、高齢の人も多い。居眠りしている人もいる。働いている人も多そうで、それなりに忙しいのか。で、まあぶらりと本棚を覘くが、なるほど、確かに本は多いな。書店よりは多いな。しかし並べ方が今一つ気に食わないな。分類しているのは分かるが、やっぱりそういう分類の仕方しかしょうがないのだろうか。それというのも書店のそれと違うから、かなり見当がつかない。まあこのような分野別というのは、何か法則があるのだろうが、いや、実はその法則らしいことは分からないではないが、無理な分類がありそうなことはすぐに見て取れる。結局分類する人の悩みの種になるのではないか。そうしてぐるぐるやっていると、30分以上滞在を避けろ、などとアナウンスも聞こえる。いやまてよ、座って読んでいる人とか、勉強している人もいる。彼らが30分なんてことは無かろう。それに今ちょっと見ているだけで全体の8分の1くらいしか回ってないのではないか。
結局もう少し集中して見なければ。とりあえず手に取る本が数冊ある。もう借りるべきか、とは思ったが、もう少し周りを見なければいけない気がする。本当にだいたいの感じすらつかめていないのが実感だ。建物が新しいのはあるが、やはり人も多いしあまり落ち着いたところではない。しかしいわゆる密集を避けているらしく椅子が少ない。こういうのはかえって緊迫を強いている。本をゆっくり見る気分にはなれない。しかし見ないことにはやはり分からないではないか。
思ったより高価な図鑑の類はそろっていない。美術の方はあるように思うので、偏りがあるかもしれない。分野によっても、それなりに中途半端である。作家によってそろっているのにも偏りがある。なるほど一般的に人気のあるものは比較的揃っているようだが、例えば1~4巻ある本の二までしか無くてどうするんだ。まあ、借りられているということかもしれないが。人気作家のものは複数冊あるので、借りる要望によって購入冊数が違うのだろう。それは確かに要望かもしれないが、そんな本は新刊書店で買わせるべきではないのか。また、妙な一般書はあるものの、例えば新書の流れのようなものが見つけにくい。
段々らちがあかないことに気づいて、パソコンの検索をみることにした。とりあえず絶版になっていることを知ってる本などあるのかな。二三調べたら、無かった。うーん。作家別ならどうか。やはりない本は書いてない。調べながら分かったが、詳細を見るとどこの本棚にあるか、分類先は分かる。なるほど、やっぱり分類で分かれているようだ。これが紙に印刷できることも後で分かった。その時は自分のメモ帳に記録して、いろいろ探しに行った。ついでに買おうかどうか迷っている本も検索しておいた。貸出可となっているのに、無いのが二冊あった。それ以外は、当たり前だがちゃんとあった。凄い! これはやはり慣れると便利である。それにまとまっていろいろ調べられる。夢のようだ。さすがじゃないか図書館!
実に楽しくて、いつの間にか足が棒のようになる。もう四時間近く経過していた。それでもまだまだほとんど見てないよ、って感じだ。だいたいのさわりは掴んだが、ほんの入り口に過ぎない。まだ借り方すらぜんぜんわかっていないのだ。
実物を見て買うことにしたのが数冊、諦めて買わなくていい本もたくさん見つけた。買ってもたぶん読まない。ちょっと僕には難しすぎるようだ。それが分かっただけでも大収穫だ。
さらにやはりちょっと通って読んだ方がいいような本もあるし、先々は借りるかもしれない本も物色できた。飛ばし読みでもいい本と、じっくり読むならやはり買うが、それなりに借りて読んでもいい本もあるように思えた。図書館だから借りてもいいのだ! 凄い社会だな、ほんとにここは。
ということで結局借りることは無かったが、次の楽しみが増えた。それに帰りにわかったが、駐車場代をタダにしてくれるのだ。太っ腹だな。他の理由で駐車して、帰りに立ち寄ってタダにするやり方もできないではなかろうが、もうそういうのは一応チャラにして考えているのかもしれない。
しかしまあ、時間に余裕がないと遊べないということも分かる。図書館というのはそういうものだろうが、こういうところがまちにあるというのは、大変な財産である。これは住んでいる人にとって、間違いなく恵まれ度感が違うはずである。棚から牡丹餅というけれど、これはまさしくそういうものなんじゃなかろうか。