バーニング劇場版/イ・チャンドン監督
男は、幼馴染だというパントマイムの上手い女性と関係を持つようになる。その後彼女はアフリカに旅行に行き、帰ってくるとものすごくお金持ちでただ遊んでいる男とともに現れる。三人は時々会って話をする。ある時二人は男の家に遊びに来て、ワインを飲んでマリファナを吸う。そうして金持ちの男は、時々ビニールハウスを焼く(ことを趣味のようにしている)ということを告白するのだった。
原作は村上春樹の短編で、前半部分のほんの一部で小説と同じようなシチュエーションがある。しかしその他は、原作を借りた別物語と言っていい。原作は納屋を焼くのだが、金持ちの男はビニールハウスを焼くことになっている(実際に焼いているかはよく分からないが)。
何か意味深ではあるが、そこに意味があるのかどうかもよく分からない。いや、むしろ小説の方がそういう感じであって、映画の方にはそれなりの結末がある。だから納屋を焼く意味や、失踪した女の状態も、考え方ではあるけれど、結論はあるといえる。だからどうなのか、というのはやっぱりわからないのだけれど…。まあ、それでいいという作品なんだろうと思う。
名作めいていて、そうしてやはりなかなかの見ごたえのある演出である。しかしまあ、人を選ぶことは確かで、これに感動する人は、だいぶ特殊な人だろう。ミステリ仕立てだが娯楽作品ではなく、やはり文学に近いということだろう。スジを追うだけでは、ほとんど内容が無い。早回しして展開を読んでも、だからどうしようもないのだろうと思う。あらすじを知ったところで、この映画の意味するところは読み取れないからだ。それが面白いかどうかを分けるところなのだろう。妙に長いが、この長さを必要とすることに意味があるわけで、この嫌な感じをジワリと肌に染み付けるようなことを、監督はしたいのだろうと思う。
ということで、僕は村上作品の中でも、特にこの話はなぜか好きで、というか特に印象に残る話だから、映画も比較して楽しめたほうかもしれない。違う話だが、なるほどね、と思うからだろう。そんな風にこの小説を読んでなかったな、と思うからだろう。僕としては納屋を焼きたい気持ちはわからないが、そういう人がいるというのも、許容していい。だからこのような結末にはならないだけのことで、たぶん冷たい人間なのである。そういう意味では、この映画にはいくらか人間味がある村上解釈なんじゃないかな、と思った。