子供のころ「不幸の手紙」というのが流行った。誰からか分からないが手紙が送られてきて(普通かってに自分の机の中などに入っている)、この手紙を自分の知り合いの5人(3人とか7人とかもあったようだ)に同じ内容で送るべし。7日以内に送らなければ、あなたは不幸になる。というものだ。これは一世を風靡し、漫画やアニメにもなり、何度も何度も余波が学校を襲った。先生方は沈静化のために、送り先を自分ら先生に送るように指示したり、これを最初に始めた児童生徒を割り出すために躍起になった。僕が知らないだけかもしれないが、ほとんど誰もがかかわっており、いつも終焉はあいまいだったように思われる。
当然僕ももらったが、なるほどこれか! と思って喜んだ。誰に出すかウキウキする心もあったわけだが、しかしすでに学校では注意発令がなされた後だったように記憶する。少し前に泣き出す女の子がいて、不幸の手紙事件が発覚していたのだ。仕組みを聞いて、なんだそりゃ、と思ったが、なるほど誰が出したのかは全く分からないようだったし、後で聞くところによると、これをやめた人が襲われて意識不明の重体になっているという。それで怖くなった人が、また再開したのではないか、ということだった。いったいこういう情報通は、どこでこんな話を仕入れてくるのは不明だったが、高学年にきょうだいがいるような奴から、そういう話が出ているようなフシがあった。
僕は友達を同じように不幸に陥れるのは面白いとは感じていたが、しかし皆がちゃんとこの手紙を送り続けてしまうと、誰が失敗して不幸になるのか分からないではないか、と思った。そうであるなら、これはまさに自分で試すべきだ。僕が送らなければ、僕に不幸が降りかかってくるわけだ。交通事故かもしれないし、病気になるのかもしれない。実はたいして信じていないからそんなことを言えるわけだが、それはそれとして、なんだか友達にも自慢できるような気がしないではない。不幸の手紙の不幸が実際に降りかかったヤツとして目立つのではないか。
ところがである。僕が不幸の手紙をもらっていることは、自然に周りに伝わっていく話なのだ。普段あまり話をしないタイプの女の子が近づいてきて、「そのままにしておくのは、本当にまずいから、やめなさい」と忠告されるのである。他の学校に私の知り合いがいるから、その子宛てに書いてくれたら、私から渡しておいてもかまわないから。などともいわれた。不幸というのは、あなたに降りかかるということで済む問題ではなくて、みんなに迷惑をかけるかもしれない類のものだという。あなたの家族にも迷惑をかけるし、このクラス全体にもひどいことになるかもしれないのだ。
さすがにこれは精神的に応えた。そんなことを言われてまで手紙を出さないことは、本当に僕の周りのすべての人に迷惑をかけてしまうものだろうか。それに僕がケガをするというようなことを最悪の想定としていたようなのだが、実際は給食で食中毒が出るとか、誰かが階段から落ちて複数の人にまでケガ人が及ぶとか、そいうケースも無いではない、という話もあった。おいおい、いくらなんでもどうしてそんなことが起こるんだ? とは心の奥では思っている。思っているが、だんだん怖くなってしまったのは確かだ。家にかえって兄に言うと、「うおー、不幸の手紙もらった奴はばっちいから近づくな!」などとふざけて取り合ってくれない。恐ろしい気分で蒲団をかぶってあれこれ考えながら寝付けない夜を過ごした。
しかしまあ、子供である。いつのまにか寝てしまったし、目が覚めてみると朝日は清々しい。普段僕には話し掛けないあの子は、親が学校の先生で賢いらしいし、考えてみると僕が別に付き合っているオカルト・グループとも仲が良かったはずだ。何を考えているかはわかりようがないが、何かこの手紙の連鎖をどうしても止めたくない気分があるんだろう。せっかく皆が恐怖で盛り上がっているのに、それに水を差すような僕に、許せないものを感じているのではないか。などと冷静に考えられるようになった。まあ、しかしこれらをちゃんと話し合って説明する自信はない。
手紙どうした? などと聞かれることもあったが、「まあ、もう少し」などとはぐらかして、外に出て遊んですごした。
ところが教室にかえって授業になると、筆箱の中の消しゴムがなくなったり、いすに画鋲が落ちていたり、体操服の入っている袋に、マジックのインクの跡がついていたりすることが続いた。なるほど、不幸の手紙を書き終えない前から、不幸の予告は始まるものらしい。
実はこれですっかり僕は目が覚めた。不幸の手紙はものすごく恐ろしいものと漠然と感じていたのに、ぜんぜん怖く感じなくなったのである。その前にこういう頭に来ることをする奴の方が許せないし、明確にぶんなぐってやりたい。でもまあ、とにかく面倒である。「その後、出した?」などと聞かれると、うん、済んだよ。と嘘をつくことにした。「誰に?」とも聞かれたが、「適当に」と言っておいた。本当は記憶があいまいだが、他の友人と相談して、そういう風に問答をこしらえたのだったのかもしれない。
結局その後も嫌がらせのようなものは続いたかもしれないが、僕は手紙を出すことは無く、信じていないとは言いながら、そうしてそれなりにビクビクしながら不幸も待っていたけど、何がそれだったのかは確定することはできなかった。それなりに嫌な出来事は起こり、ウンザリしたりショックを受けたりしたが、それと不幸の手紙との関連は見いだせなかったのだ。不幸なんて、そういうものだろうけど。