カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

気に入られるためにやらなければならないこと   女王陛下のお気に入り

2020-05-20 | 映画

女王陛下のお気に入り/ヨルゴス・ランティモス監督

 18世紀英国宮殿内の物語。父の破滅で没落貴族となり平民に成り下がったアビゲイルだったが、王室にいる従姉のサラを頼って宮廷での仕事にありつく。同僚からは嫌われている様子で境遇も最低だったが、傷をいやす薬草の知識があったことと、これを使う頓智を働かさせて窮地を抜け出し、待女となり個室も与えられる。働きぶりもそつがなく、徐々に信頼を集め女王アンと特別の信頼関係にあるサラからも重要な役割を担わされるまでになっていく。そういう中、たまたま女王の部屋にいるとき、女王アンとサラの特別な関係を目撃してしまう。最初は戸惑うが、これを理由に宮殿を取り巻く政治抗争などと相まって、サラとアビゲイルの壮絶な心理(だけでないが)戦が繰り広げられることになっていく。
 絶対権力の女王アンの信頼を勝ち得ることは、同時に国をも動かしえる強大な権力を握ることになる。小さな駆け引きに見えようが、その及ぼされる影響は小さくない。そうして駆け引き次第によっては、生死を掛けたものにもつながっていかざるを得ないのだった。
 一種のサクセスストーリーではあるが、しかしそう単純でもない。機知と行動力によって波乗りのように上手く立ち振る舞うかと思えば、女同士の熾烈な心理戦にピリピリしてしまう。お互いに警告も出しているし、下手な手を打つと命取りになることも承知している。一定のバランス化において、いかに自然に自分の存在を使って手を打つかということにかかっているのである。
 観ながら、僕のように気の小さい人間にとっては、とてもやっていけない社会で、危なっかしくて仕方ない。スリルはあるが、ほとんどホラー映画である。やれることはとにかくやってしまう。復讐も怖いから、二重三重で手も打っておく。そうしても、やはり反撃はありそうで、今度は監視にも目を光らせなければならない。とても生きた心地がしない。
 やくざな人が生きていくっていうのは、こういうことかもしれないな、とも感じた。時には酒を飲んで羽目を外して、さらには派手にふるまって、人を威嚇しなきゃやってられない。そうして得た地位であるから、時々自分も見つめなおさなきゃならないのである。
 歴史的背景はそれなりに合っているのだろうけど、どこまで創作かはちょっと謎だ。脚本が上手いというのもあるが、こういう歴史の掘り下げ方もあるんだな、と感心してしまった。まあ、歴史風俗だってこんな感じなのかも知らないが、戦闘場面を描かずとも、人間の戦争物語はできるのである。本当に恐ろしいものだな、と思ったのだった。
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住んでいるところの誇りとは何か   飛んで埼玉

2020-05-20 | 映画

飛んで埼玉/武内英樹監督

 原作漫画があるらしい。パタリロの作者なので、見当はつくが、未見。ギャグ映画なのでかなりハチャメチャなので、正確にスジを説明してもどうかという展開。要するに現実の関東地区の埼玉という土地柄から想起した、東京を円周的に絡めた地域差別ギャグをつないで、都市伝説を構築したもの。ときどき分からないでもない気分にさせられるところがミソで、人間の根源的ないやらしさをおもてに出した表現ともいえる。とまあ、あんまりまじめに論じても仕方ないが、感覚的に面白い人にはハマる要素がそれなりにあることもよく分かる。俳優陣も、なり切っているところとふざけているところが混在していて、それが良くも悪くもこの映画の妙な味になっている。狭いのだか広いのだか分からないし、重層的だが近視眼的でもあり、いわゆる愛も単純ながら倒錯してもいる。こういうのが原作の世界観には確かにあるんだろうな、と思わせられるし、それを実写の人々が演じられるという日本の芸能世界の懐の深さも感じられるところだ。海外の人が観たところで、このニュアンスが分かるものなのだろうか? そういう意味では内向きだけど、野望な壮大なのである。
 それにしても、観ていてキャストの本当の出身地も気になった。主演の関係者は必ずしも関東圏の人ではないような気もしたし、そのあたりまで徹底すると、やはり行き過ぎになるんだろうか。出自に関しては嘘をつかない限り動かしがたいところがあり、それを差別のもとにするというのは、何かそれなりに強い偏見や、頑なな儒教主義的なものを感じさせられる。それは人間らしくもあり、しかし単なる機械のような冷たさというか。これを拡大すると国家であるとかの偏見のもともあるわけで、ギャグとして成り立つというけれど、ギャグでないと表現できない世界観であることが分かる。そうでなければ、ただの偏見とヘイトの嵐である。
 考えさせられないわけではないことなのだが、考えても仕方のない世界でもある。ここであえてまじめに何か言おうとすると、ちょっと、それこそダサい感じもしないでもない。都会だからイケてるとか、田舎だからダサいという感覚そのものが、そもそもカッコ悪い考え方の典型なのに、それを本人が否定できないところが、何か孤高の彼らの強みなのだ(だからバカなのだが)。気づかなければ、その呪縛からは解かれない。さらにそのための精神的不幸についても、諦めなければ解決もできない。考えてみると、このような感情はなかなかに恐ろしいものである。まあ実際は、救いようの少ない憐憫の世界の話なのだが…。
 罪もなく観るから罪が生まれない世界という前提が無ければ、偏見に満ちた害悪のある映画ともとれる。ギャグだから許してくださいということと、ブラックユーモアを混ぜた警告の混ざったところが、それなりに大衆に受けた最大の要因ではなかろうか。
 しかしこれは、多かれ少なかれこれは埼玉以外にも使えるわけで、使いたいという行政サイドの人々の息吹も聞こえてくるようだ…(たぶんコピーが出ることだろう。預言)。
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