カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

戦う男でありながら、平和の象徴とは誰か

2020-02-22 | culture

 ボスニア南部にあるモスタルという町の公園には、金ぴかの等身大のブルース・リーの銅像がある。もちろんブルース・リーはかの国でも大変に人気が高かったこともあるが、彼が民族統合の象徴であると考えられたからである。そうした理由には多少の説明が必要だと思われるが、おそらくということで解説を試みる。
 ブルース・リーは親の都合でアメリカ生まれであるが、香港に帰って子役を含めた俳優活動のキャリアを積んだ。さらに伝説的な師匠のもとで、カンフーも学んだ。その後またアメリカに渡ってハリウッドで成功を目指したが、日本人役のカトーという準主役として人気を博すまでには成功するが、主役に抜擢されることは無かった。ハリウッドのアクションスターに、武術を教えるなどして糊口をしのぎ、自らカンフーの脚本などを持ち込んで売り込むものの、主役は白人に奪われるなどしたのである。
 香港で制作された映画では爆発的なヒットを飛ばして絶大的な人気を誇り、やっとハリウッド資本の映画で主役として出演を果たすまでになる。しかしその公開前に、脳浮腫で突然死してしまった。本人は生前に夢を果たしたことを知らなかったが、アメリカ社会、ひいては世界的な主役として、アメリカの白人以外での初の偉業を成し遂げたのである。
 更にそのような成功を目指していたことは確かだが、それは香港であるとかアメリカであるとかいうようなアイディンティティを主張したものではなく、そのような目に見えない壁を乗り越えることを目的としているような思想を語ることがあった。それがボスニアで、宗教や民族を超えて融和できるという夢に通じるものであると捉えられたのであろう。
 ブルース・リーが香港で人気を博したきっかけは、日本に占領されていた中国人の鬱積を晴らすべく日本人と闘う設定がウケたのがきっかけだった。しかしながらハリウッドをはじめ世界的に名声を得たのち、アメリカでもっとも有名な日本人といわれるなど勘違いされつづけた。本人は亡くなっているのでどう考えているのか知りようがないけれど、それだけワールドワイドな人物だったことは間違いが無い。要するに、ボスニアで銅像としてまつられるにふさわしいことは、間違いないことなのである。
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