岬の兄妹/片山慎三監督
兄は足に障害がある様子で、勤めていた工場は人員削減のためなのか首になる。妹は知的障害があるようで、時々失踪する先で、男と関係を持ち、こづかいまでもらっていたようだ。最初兄は、このような売春まがいの行動をとる妹に対して、情けなさや心配もあり激しく叱る。しかし生活は困窮しており、罪の意識をみじんも持たないであろう困った妹を使って、売春の斡旋をして収入を得るという方法を思いつくのだった。
最初に断っておくと、僕のような福祉的な仕事をしている人間にかかわるだけで、こういう生活に陥る必要はなくなる。サポートする方法は、山のようにあるからだ。なぜこれほど孤立しているのかは不明だが(障害年金だってもらえるだろうし、行政が放っておくとは考えにくい)、そういうことを成立させる条件なのだから仕方がない。だけれど、これは好きで困窮しているようなものであって、現代日本では、ちょっと考えづらい状況であるとは断っておくべきだろう。要するにある意味でファンタジーである。
そうではあるが、設定の面白さがあって、悲惨な話だけれど、それなりに注意深く観ることができる。特に面白い視点だと思ったのは、同じく小人症の客の対応である。売春客でありながら、妹はなんとなく好意を抱いている様子があって(同じような障害者としての仲間意識かもしれない)、妊娠したのを機に、兄はこの客に相談に行くのである。しかし、この小人症の男は、好きでもなんでもないと、冷たく拒むのである。しかし、何かそこに複雑な心情が絡んでいるように見えて、なるほどな、と思わされた。この設定の大勝利といっていいだろう。
障害者が売春をすることで、客としては逆に売春へのハードルが下がるような様子も見て取れる。いわゆるヤクザなプロではないというのもあろうし、高齢の客だとか、高校生だとか、女性として性の対象のハードルが下がるのかもしれない。そういうのも、なかなか考えさせられることである。要するに需要がありそうな感じがあって、鋭いのではないか。実際にボーダーといわれる人たちが、一定以上性風俗にはかかわっているとされている現状もある。そうでなければ成り立たない世界であるかもしれなくて、この映画が語っているのは、実は限定的な悲劇ではないかもしれないのである。
障害者を扱った映画がこれまでなかったわけではないが、このように正面から体当たりの映画というのは、さらに数少ないことと思われる。そうして出来栄えもいいから、たいへんに話題になった。楽しい映画ではないかもしれないけれど、こういうものは、やっぱり観るべき映画だと思う。まあ、さらに誤解する人もいるかもしれないが、もともと偏見の世の中である。是非とも打ちのめされていただきたい。