1940年代にアメリカのデュポン社の開発した新素材のナイロン・ストッキングが発売されると、爆発的にヒットして世界を席巻した。それまでの我々の生活が、激変したといえるのだそうだ。ちなみにナイロンの語源は、「now you lousy old nipponese.! (古い日本製品はもうだめだ)」という説があるという。少なくともアメリカでは、そのように揶揄して覚えられた新素材の名称だったようだ。
まあしかし、実際の語感としては、日本人に対しての敵対心を直接的に日本人に向けていることがよく分かる。当時日本の絹製品がアメリカを席巻していたとされ、その後戦争で戦うことになるわけで、アメリカ世論が日本との戦争に向けて一方的に高まっていたということなのだろう。
政治とは敵を作って叩くことだ、ということが言われることもある。日本のそれはどうかとも思うが、西洋的な考えは、そうなのかもしれない。また、そうである方が、強く物事を推し進めるには、何かと都合がよさそうだ。叩くだけで気分がいいわけで、まあ、大衆とはそういうものだということだろう。悲しい気分はあるが、だから政治は科学ではないのだろう。ジャーナリズムも、またしかりだが。
しかしこの日本に混ざっている敵対心の中には、アメリカ自体の弱さでもあったはずだ。日本の絹製品をアメリカに売っていたアメリカ人だっていた筈だ。アメリカの自由があって日本製品がアメリカ人の生活に入り込んでいたはずで、その後そのために、日本をねたんだということだ。結局は自分自身のさもしさに過ぎないのである。
いや、しかしこれは、アメリカだけのことを言っているのではない。何か似たようなものを、日本にも感じているのである。ナイロンのようなものができるのであればそれも良かろうが、それなしにさもしくなる人々が増えると、どうなっていくのだろう。それを考えると、なんだか気分が重たくなるのみである。