カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ちょっと不貞腐れていたが…

2012-05-30 | 感涙記

 今頃になって金環日食のドキュメンタリーなどを数本観る。改めてうらやましい限り。もともと部分日食しか見られないことは分かっていたが、その夢さえもついえた曇りと雨空に叩きのめされた天然現象体験だったために、時代に見捨てられた人間としてひねくれていたのである。25年ぶりとか900年ぶりの機会にこの体験ができなかった人間は、夢と希望を失って当然である。生きている資格すら無いかのような衝撃であった。
 ところでやはりそのうらやましい現象を体験できた映像は素晴らしくて、テレビの映像でもかなり感動的だった。今回は地球と太陽との距離が遠いということで見事な金環ぶりになったということらしい。ちなみに近いと皆既日食になったということで、実はこれの体験をしたいという思いの方が強いのだが(いわゆる暗くなるので動物が騒いだりして楽しいような気がする)、さて生きているうちにどこで起こるものなのだろうか。
 昭和33年の小笠原での日食観察の映像なども紹介してあった。当時はガラスに蝋燭の煤などをつけてグラスを自作したものらしく、皆片目をつぶってその黒い部分を使って観察している様子が映されていた。今回の観察映像などを見ると、恐らく学校などで同じグラスを配られていたというのも多かったように見えた。それはそれでいいが、このような準備をするものとは明らかに期待度は違うのではあるまいか。うっかり煤を触ってしまうなどということもやらかした子供もいただろうことも想像出来て、時代とはいえやはり観察の気分は微妙に違うのではあるまいか。
 部分日食なら今までにも数度見たことがあるような記憶がある。それぞれに日食グラスを自分で持っていたような記憶があるが、空を見上げて観察しているのはほとんど僕一人という感じが多かった。僕がグラスを覗いている様子を見て近づいてくる人がいるという感じで、あんがい日食というのはみんなあんまり関心が無いのかもしれないと思っていた。今回のような感じというのは、やはりかなり特殊な部類ではあったのだろう。
 今回の観測で、太陽の大きさがかなり正確に分かるようになったというのもトピックとして大きく報じられた。比較的近い星であっても、誤差が数千キロもあるというのがそれなりの驚きであった。今回は数キロまでの精度に高められたということらしい。
月の凹凸でも日食の見られる境界の予測にかなりの差があったことも分かった。NASAなどの予測より、近年の衛星データを用いた日本の研究者の予測の方がより正確だったことも証明されたようだ。太陽の大きさは変化しているという説もあり、今後も観測が続けられることにより、そのあたりの謎も将来的は解明されることにもつながりそうだ。
 多くの人が空を見上げたことによって、宇宙観測の技術が将来的に大きく飛躍する可能性も高まったのではないかとも考えられる。奇しくも日本では天体ブームというか宇宙への関心が高まっていると考えられる。イトカワ観測から映画(というか漫画も)の宇宙兄弟ブームもある。関心を持つ人が増えると、それだけ関心を持つベクトルも高まり、将来的にさまざまな謎にチャレンジしていく人間も出てくるというものだ。そのような謎というか、好奇心の尽きない舞台へ進んでいく人が増えることで、長生きする甲斐のある未来が保障されていくという訳である。今回の無念さは、そのような期待で帳消しするより無いではないか。
コメント (2)
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