ばかもの/金子修介監督
最初はポルノまがいの恋愛物語かと思っていたら、だんだん状況が変わって行き、アル中の残酷物語になって行く。意外性があると言えばそうだけれど、何となく現実の物語のように脈略が無いとも言えそうだ。それはそれなりのリアルさを出してもいるので、必ずしもマイナスではないのだけれど、ある程度の行きつく先に、二人の落ち具合を競うようなところがあって、残酷と言えばそのような、妙な達観の世界を形成している。主役の成宮の演技はいいが、内田の方はもう少し枯れた方が良かったかもしれない。いや、意外性ということでは悪くないのかもしれないが。
このような悲惨さの元は、見ようによっては単なる性質に過ぎないようにも思われるが、しかしやはり展開上は、心の傷の原因は最初の恋愛にありそうな気がしないではない。絶頂から一気に突き落とされたも同然と言え、さらに酒を飲んだきっかけの経験でもあったことだろう。もちろんその複数が絡んで必然的になったかもしれないし、原因が無くなれば、別のことが生じたのかもしれない。
アルコール依存症は、飲んでいない時は特に問題が無いので、知らない相手に分かりようが無い。そういうところが何より厄介で、日本のように差しつ差されつの関係を大切にするような酒飲み文化では、なかなか本人の意思のみでは、防ぐのが難しいと思われる。また、病気なのだからいつかは治るものだという考えもあるから、しばらく飲まずに居られたなら、また飲んでも平気になるものと考える人もいるだろう。もちろん稀ではあるが、治るような人がいるという話もあるが、しかし基本的には、一度アル中になったような人であれば、二度と飲んではいけないというのは、守るより仕方が無いようだ。
そういう人は、いわば、酒と共存できない人類というしかないのではあるまいか。一方で多くの人は共存できる訳だから、住み分けるよりなさそうだが、しかし物理的にも文化的にもそのようなことが可能な世界を構築することが、そもそも難しいことなのである。最近は酒の席でも酒を飲まない人が混在して当たり前にはなってきたのだけど、酒を飲めなかったり飲みたく無かったりを許容できるようになってきたということではあるが、酒を飲みたいが飲んではダメを許容できるのかは、また別の問題のように思える。やはり欲しているが飲めない人が共存するのは、酒の席以外にしなければならないのではあるまいか。一緒に食事をするのは楽しいひと時の共有であろうけれど、アルコールが伴うとそれがままならない人がいるというのは、文化として理解する社会でなければならないのではないだろうか。
さてしかし、映像的に実際を見せていないにせよ、やはりポルノと悲劇が共存している世界なので、誰もが啓蒙的に観るような映画では無いかもしれない。もちろんそういう主眼で作られた作品では無かろうが、アルコールの悲劇をストレートに表現できているからこそ、そのような警鐘に最適な作品だったようにも思えた。山田洋二の「おとうと」を観るよりも、この作品で恐怖を共感した方が、社会的には有用なことがあるのかもしれないと考えてしまったのだった。
最初はポルノまがいの恋愛物語かと思っていたら、だんだん状況が変わって行き、アル中の残酷物語になって行く。意外性があると言えばそうだけれど、何となく現実の物語のように脈略が無いとも言えそうだ。それはそれなりのリアルさを出してもいるので、必ずしもマイナスではないのだけれど、ある程度の行きつく先に、二人の落ち具合を競うようなところがあって、残酷と言えばそのような、妙な達観の世界を形成している。主役の成宮の演技はいいが、内田の方はもう少し枯れた方が良かったかもしれない。いや、意外性ということでは悪くないのかもしれないが。
このような悲惨さの元は、見ようによっては単なる性質に過ぎないようにも思われるが、しかしやはり展開上は、心の傷の原因は最初の恋愛にありそうな気がしないではない。絶頂から一気に突き落とされたも同然と言え、さらに酒を飲んだきっかけの経験でもあったことだろう。もちろんその複数が絡んで必然的になったかもしれないし、原因が無くなれば、別のことが生じたのかもしれない。
アルコール依存症は、飲んでいない時は特に問題が無いので、知らない相手に分かりようが無い。そういうところが何より厄介で、日本のように差しつ差されつの関係を大切にするような酒飲み文化では、なかなか本人の意思のみでは、防ぐのが難しいと思われる。また、病気なのだからいつかは治るものだという考えもあるから、しばらく飲まずに居られたなら、また飲んでも平気になるものと考える人もいるだろう。もちろん稀ではあるが、治るような人がいるという話もあるが、しかし基本的には、一度アル中になったような人であれば、二度と飲んではいけないというのは、守るより仕方が無いようだ。
そういう人は、いわば、酒と共存できない人類というしかないのではあるまいか。一方で多くの人は共存できる訳だから、住み分けるよりなさそうだが、しかし物理的にも文化的にもそのようなことが可能な世界を構築することが、そもそも難しいことなのである。最近は酒の席でも酒を飲まない人が混在して当たり前にはなってきたのだけど、酒を飲めなかったり飲みたく無かったりを許容できるようになってきたということではあるが、酒を飲みたいが飲んではダメを許容できるのかは、また別の問題のように思える。やはり欲しているが飲めない人が共存するのは、酒の席以外にしなければならないのではあるまいか。一緒に食事をするのは楽しいひと時の共有であろうけれど、アルコールが伴うとそれがままならない人がいるというのは、文化として理解する社会でなければならないのではないだろうか。
さてしかし、映像的に実際を見せていないにせよ、やはりポルノと悲劇が共存している世界なので、誰もが啓蒙的に観るような映画では無いかもしれない。もちろんそういう主眼で作られた作品では無かろうが、アルコールの悲劇をストレートに表現できているからこそ、そのような警鐘に最適な作品だったようにも思えた。山田洋二の「おとうと」を観るよりも、この作品で恐怖を共感した方が、社会的には有用なことがあるのかもしれないと考えてしまったのだった。