秋刀魚の味/小津安二郎監督
表面的にはしあわせな家庭が、実は様々なひずみの中、徐々に崩壊していく物語である。とまあ、そんなふうに言うと観たことのある人の中には驚く人もいるのかもしれない。物語は、娘が嫁ぐまでのいきさつを坦々と追っているだけのようなストーリーなのだから。しかしながらその一連の流れは、しあわせな一時の時間などというのは本当に儚いということは言えるような気がする。
単に分かっていなかったり見えていなかっただけのことで、自分勝手にしあわせをかみしめてみても、案外それは、誰かのひたむきな努力のおかげで支えられていたのかもしれない。特に戦争に負けて、(いろいろ苦労をしたろうが)何とか生活を立て直したかに見えていたものが、やはりよく考えてみると、同じくどうにもならない寂しい境遇に居るのだということも言えて、本当に物悲しい気分になる。そうせざるを得なかったとはいえ、取り返しのつかないことをまた、しでかしてしまったのだ。そしてその時間は二度と戻らないのである。
それにしても男たちはよく飲むものである。ほとんど連続飲酒で、そうしてかなりの酒量を誇っているようにも見える。ことあるごとに飲み続け、そうして飲んでいなければ居られないという感じもする。昼は働いているんだろうが、知らない人が見たら、ほとんどアル中映画である。まあ、僕にいえた義理ではないのだが。
人間関係も、どちらかといえばドライという感じだ。もう少しで喧嘩になりそうな場面がいくつもあるように思えたが、何となくはぐらかしているような、そんな気もした。そうしてやはり何となくずるい奴が、そのまま何とかなっていくような感じもする。やはり少しくらいは文句を受け入れたっていいということなのかもしれない。
そういえば題名が秋刀魚の味なのだが、これは何かの比喩なのだろうか。秋刀魚のはらわたの苦みのようなものを指しているのだろうか。僕なんかはそこのところが好きなのだから、苦みがつらい物語だとはやはり思えない。何となくやはりはぐらかされているようで、不思議な映画である。
このような男社会は既に崩壊しまっていると思うのだが、さて、あのような時代が、しあわせだったようなノスタルジーがあるものなのだろうか。僕にはよく分からないが、映画の言葉を借りると、自分の便利に甘えているだけでは、やはり誰もしあわせになどはなれはしないのだろうとは思うのだった。そういう意味ではやはり化石的な映画だとも言えて、現代人には重層的に楽しめる映画なのではないだろうか。