外国に紹介される日本の風景で多いのは、京都と渋谷なのだという。京都は分かるが、渋谷はなんだ?という気が少しだけする。その紹介される映像とは、スクランブル交差点なんだそうだ。多い時は一度に3,000人くらいの人が横断するのだという。
実を言うと僕も最初にこの交差点を歩いた時は、かなり興奮した。まるでお祭りじゃないか。目の前からどんどん人が歩いてくるけど、どういう訳かぶつからない。僕のようなおのぼりさんがキョロキョロ歩いているにもかかわらず、みんなするりとよけて歩いてくれるのだ。なんというスリリングさ。確かに体験型アミューズメントだ。
人が多い場所というのは、諸外国にも恐らくたくさんあるのだろうとは思う。僕はアジアしか知らないのが、しかし、その混沌は結構体験してきたものだけれど、やはり渋谷の混沌は、それらとは似ているようで少し違う気がする。上海やバンコクやホーチミンの混沌は、喧騒というような不機嫌なエネルギーも充満しているのだけれど、渋谷にはその不機嫌さが感じられないのである。喧騒というものがまったくないとは言えないが、何か少しコントロールされた上品さというような、あらかじめ決められているルールのようなものが存在するような気がする。なんでもありだという自由さがありながら、しかし人々は何かに従っている。
外国の街が渋谷化しないのは何故かというのも議論していた。一番腑に落ちたのは、外国だと縄張り争いが起こったり、喧嘩になったりしそうだというのだ。つまり混沌のままでいられずに、自然にエリアが別れていくということなんだろう。確かに! 結論として、渋谷は秩序のある混沌なんだそうだ。
日本人だけでなく、諸外国の人々が混じったとしても、日本では、ある一定の秩序が保たれる仕組みが出来るということなんだろう。多くの外国人はその空気に機械的な違和感を覚えるものらしいが、しかし、やはり安全を享受することの快さも、同時に理解していくことになるのだろう。
このような安全を保障しているものは何なのだろう。それは実際には豊かさや余裕なのだとは思うが、そうだとすると、いつかは失われてしまうものなのかもしれない。渋谷の混沌から秩序が失われていくとき、本当に日本の没落が実感できるということになるのかもしれない。出来れば見たくは無いものだとは思うけれど。