カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

言いそびれたお礼

2012-05-09 | HORROR

 まだ弟たちが小さくて、一緒に遊ぶには遊んでいたものの、だんだんつまらなくなって一人で少し深いところに行きたくなったのだと思う。まだ十分には泳げなかったが、少しくらいは泳げたのかもしれない。足はつかなかったと思うが、プールの縁に手を掛けていれば問題無かろうと考えたのだろう。多少離れても戻れる自信もあったのだろう。そうしてじゃぶじゃぶ遊んでいたら、思っていたよりプールの縁から離れてしまっていた。あわてて戻ろうとしたが、いくらもがいても手が届かない。息が続かなくなって無理にうきあがろうとしても、顔が水の上にあがる前に息つぎをしてしまって、たらふく水を飲んでしまった。苦しくて仕方が無くて暴れるが、水面はどんどん遠くなっていく。苦しくてたまらないが、どんどん水が口の中に入っていく。そのままゴボゴボと水を飲み続けているうちに、意識が遠くなっていくのが分かった。
 その後何か複数の笑い声のようなものが聞こえてきたように思って目を開けたら、僕の顔を覗き込んでいる複数の顔があった。まだ息苦しくて咳き込んで、口から鼻から大量の水を吐いた。吐いた水がまた鼻にはいったりして連続して咳き込む。いつの間にかプールサイドに上げられており、助けられたのだとやっと分かった。
「やっぱり溺れてたんだよ」とか「大丈夫か」とか、とにかく複数の声がして、しかしそれらに上手く答えきれずに、しばらく思い出したように水を吐いた。まだ寝ているように言われたけど、気恥ずかしくて「もう大丈夫です」と言って、その場から走って逃げてしまった。
 母親のところに行って「溺れたんだよ」と告げると、気をつけなきゃね、とか何とか言われたような気がする。そうしてやっと、誰が助けたか分からないが、お礼を言わなきゃなと、思った。あのままだと、たぶん僕は死んでいた。命の恩人にお礼を言わなければ。
 またさっきのプールサイドに戻ると、僕を介抱してくれたりしていたらしい中学生か高校生か、ビーチボールなどを使って遊んでいた。けたたましい歓声は聞こえるが、もうすでに僕に気を掛けるような人は無くて、しばらくそうして遊んでいるお兄さんたちを眺めていた。
 僕はあのまま死んでしまったのかもしれないという思いは、頭から離れなかった。死んだらどうなるのだろう。今ここに立っている僕は、本当に僕なんだろうか。いや、それは間違いないように思えるが、ひょっとするとここで一生が終わったかもしれない自分は、これからも生きていられるのだろうか。
 そういう訳で、ときどき僕が生きているのは、おまけみたいな時間なのかもしれないと思う。既にずいぶんおまけが長くなってしまった。あの時のお兄さんたちは、僕と同じく既にいいオジサンになっているだろう。ひょっとすると病気などで死んだ人もいるかもしれない。お礼が言えなくて申し訳なかったなと、心から思うのである。
コメント
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