ミシェル・フーコー~近代を裏から読む/重田園江著(ちくま新書)
読んだこと無いくせに何となく嫌っていたのがフーコーかもしれない。フーコーを語る人はなんだかカッコつけているというか、鼻につくところがあって敬遠してたということもあるかもしれない。そういう空気は確かにあるようで、フーコーは日本では人気があるけど、特に重要じゃないという話も聞いたことがある。妬まれるくらいカッコいいかと言えば、正直難解で歯が立たないだけかもしれない。試しに手に取ろうとしても、それなりに高価だし何となく敷居が高すぎる。しかしながら入門書なら何とかなるかもしれないというよこしまな考えもあったのだろう。本棚にあったものを何気なく手にとって、そのままフムフムと楽しく読めてしまった。正直言って大変面白い本だった。目から鱗もたくさん落ちる。基本的には愛の告白書というか恋愛解説といった感じで、フーコーの著書である「監獄の誕生」という一冊の魅力をひも解いたものだ。これで読まなくて良くなったのかは分からないが、なんだか読まずに満足してしまった。
実は期せずしてかなりタイムリーな本だとも言える。僕は戦後生まれなので先の戦争の空気のようなものは知る由もないのだが、なんと、ひょっとするとこんな感じかもしれないと想像することも可能になる。大震災と原発事故から一年過ぎたということと、僕が九州に住んでいるという距離感もあるのかもしれない。そうしてやはり、何となく落ち着いていない日本という場所に住んでいる居心地の悪さの訳も、ひも解くことが可能なように思える。
少なくとも僕はこの本を読んだことで、だいぶ精神的に救われるところが多かった。先に平時に生還した自分という個人と、いまだに右往左往する国家という権力が見えてくるように思えて、振り回されながら黙るしかなかったもどかしさ自体が、かなり緩和されたようにも感じた。別段僕を救済するために書かれた本では無かろうが、僕のように救われる人間も多いのではないかと思われる。少なくとも平時で物事を考えてもよいという当たり前のことが保障されたようで、意を強くしたということなのだろう。そうやって身の回りを見ると、それなりに当たり前の人も見えてくるので、知識というのは自分を助けるものなんだということが改めて有難いと思った。
世の中には様々な恫喝がある。それはたぶん、多くの人が権力にすがりたいからなのだろう。権力の下僕になることで自分自身を救済したいのだろう。しかしながら個人がその生のままで生きていけるほど、世の中はやさしいものではない。多かれ少なかれその狭間の中で、人々は暮らしていくより仕方が無い。そうではあるけれど、じゃあ自分自身はその間のどこらあたりに位置しているのか。それが分かるだけでもずいぶんと生きやすくなるのではあるまいか。どのように生きるのかは自分自身で決めるより仕方が無いけれど、そういう解釈の仕方が可能になることで、見えてくる世界はまったく違ったものになるのではあるまいか。
そのような見方を教えてくれたフーコーという人間がいて、そうしてその言葉をさらにひも解いてくれた著者のような人がいる。読書案内というものを読んで、これほど力づけられることなんてそうそうないだろう。他の本を読む案内にもなるので、ぜひ手に取るべき本の一つだろう。